「一橋派」の版間の差分

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== 概要 ==
一橋慶喜の実父である前[[水戸藩]]主・[[徳川斉昭]]を筆頭に、実兄の水戸藩主・[[徳川慶篤]]、[[越前藩]]主・[[松平春嶽|松平慶永]]、[[尾張藩]]主・[[徳川慶勝]]などの[[親藩]]大名や、開明的思想で知られた[[外様大名]]である[[薩摩藩]]主・[[島津斉彬]]、[[宇和島藩]]主・[[伊達宗城]]、[[土佐藩]]主・[[山内容堂|山内豊信]]らがいた。[[紀州徳川家]]の[[徳川慶福]](のちの14代将軍徳川家茂)を継嗣に推挙していた[[南紀派]]と対立した。
 
従来、幕政を主導していた[[譜代大名]]が多かった南紀派に対し、一橋派は幕政から遠ざけられていた[[親藩]]や[[外様大名]]が中心であり、背景には[[老中]]首座・[[阿部正弘]]([[備後福山藩]]主)がこれら親藩・外様大名を幕政に参与させたことによる発言力の高まりがあった。外交政策においては、[[攘夷]]派が優勢であった。