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'''黄梅弘忍'''(おうばい・こうにんorぐにん、[[601年]]-[[674年]])は、[[湖北省]]黄梅県出身で俗姓は周氏。中国[[禅]]宗の五祖。
 
若年で出家し、12歳(『[[楞伽匠の資記]]』では7歳)で四祖[[道信]]の弟子共になり、後に黄梅県の憑茂山(東山)に住して化導に専心し、中国禅宗の本流となる'''[[東山法門]]'''を発展させ、中国禅宗発展の下地を作った。『[[続高僧伝]]』にも既に、師の道信の墓塔を造った弟子として、その名が見える。『[[伝法宝紀]]』や『[[楞伽人法志]]』による限りでは、弘忍は、道信の下で肉体労働もした朴訥な人柄であり、文記を出す事がなかったといわれるが、彼の説とされる『[[修心要論]]』があり、晩年には国都の多くの貴顕が帰依したと伝えられる。
 
弟子に両京の法主となる大通[[神秀]]、後に自らが七祖になろうと画策した弟子の[[荷沢神会]]により六祖にされた曹谿[[慧能]]がいる。それぞれの門流は後に北宗、南宗と呼ばれ、[[唐]]代・[[北宋|宋]]代を中心に禅宗を発展させた。
 
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<center><table border = 1><tr><td width = 30% align = center>師:[[道信|雙峰道信]]<td width = 40% align = center>[[禅宗]]<td width = 30% align = center>弟子:[[神秀|大通神秀]]・[[慧能]]</table></center>
 
[[category:禅僧|こうにん]]
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