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'''エリ・フィリップ・ヘクシャー'''(Eli Filip Heckscher, [[1879年]] - [[1952年]])は、スウェーデンの[[経済学者]]、[[経済史学者]]。
 
== 生涯 ==
[[1879年]]、エリ・ヘクシャーは[[スウェーデン]]の[[ストックホルム]]において、[[デンマーク]]生まれの[[実業家]][[イシドール・ヘクシャー]]とその妻[[ローサ・メイエール]]の息子として誕生した。[[1897年]]、ヘクシャーはストックホルムにおいて中等教育を修了し、[[ウプサラ大学]]と[[ヨーテボリ]]大学]]で[[経済学]]を学んだ。[[1907年]]、ヘクシャーはウプサラ大学で[[博士号]]を取得し、[[1909年]]に[[ストックホルム経済大学院]]の経済学と[[統計学]]の教授に就任した。[[1929年]]、ヘクシャーは[[経済史]]の[[研究所教授]]に席を移り、[[1945年]]に[[名誉教授]]として引退した。
 
== 業績 ==
[[1950年]]に発表された目録によると、その前年までにヘクシャーは1148冊の書籍および論文を発表している。[[重商主義]]に関する文献は複数の言語に翻訳されており、また、スウェーデンの経済史の研究は高い評価を得ている。後に[[ノーベル経済学賞]]を受賞した[[ベルティル・オリーン]]とともに行った[[国際貿易]]に関する[[ヘクシャー=オリーン・モデル]]や[[ヘクシャー=オリーンの定理]]は、ヘクシャーの業績の中で最も有名である。
 
エリ・ヘクシャーの息子の[[グンナー・ヘクシャー]]は[[政治学者]]であり、スウェーデン[[保守党]]の党首として活躍した。
 
== 参考文献 ==