「エレキの若大将」の版間の差分

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[[1965年]]、来日公演を行った[[ザ・ベンチャーズ]]や、既に世界的な人気となっていた[[ビートルズ]]といった[[ロックバンド]]の影響で、日本は時あたかも空前の[[エレキギター]]ブームの最中だった頃に製作された作品。
 
今回のスポーツは[[アメリカンフットボール]](劇中では「[[ラグビー|アメラグ(アメリカン[[ラグビー]]」と称していた)。若大将・田沼雄一(加山雄三)はアメフトラグ部の次期キャプテンに任命され、自宅のすき焼き店「田能久」で就任祝いの宴会を開く。しかし宴会の帰りに青大将・石山新次郎(田中邦衛)は飲酒運転で交通事故を起こし、同乗していた田沼がその罪をかぶる。その事故の被害者が楽器店に勤める星山澄子(星由里子)だった。
 
若大将と青大将がお詫びの挨拶に澄子の勤めるリード楽器店を訪ねると、勝ち抜きエレキ合戦に出場するバンド「アイビーシスターズ」(メンバーの一人が加山雄三夫人となる松本めぐみ)に会う。10週連続で勝ち抜くことができれば賞金10万円と聞いて、2人は賞金を澄子への賠償金に充てるべく出場を決意する。若大将と青大将はアメフト部のメンバーと「ヤングビーツ」を結成、これに若大将の友人:そば屋の隆(寺内タケシ)が加わったことで10週連続で勝ち抜きエレキ合戦に優勝する。しかしエレキ合戦の決勝戦相手は田沼家が融資を依頼していた銀行家の息子(ジェリー藤尾)であり、「ヤングビーツ」が勝てないように石山に裏工作を依頼するも、失敗したことに憤るその息子が吹っ掛けて来た乱闘騒ぎが災いしてバンドメンバーは停学処分、若大将は[[勘当]]を言い渡される。更に田能久への融資を断られた結果、田能久は倒産し、若大将は勘当されてしまう。若大将はプロの歌手となって田能久の再建を果たすのだった。
 
==ロケ地==
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*『[[金髪のジェニー]]』(エレキ・アレンジ)
*『ドナウ川のさざ波』(エレキ・アレンジ)
 
==その他雑記==
*田沼雄一(加山雄三)と石山新次郎(田中邦衛)が「リード楽器店」で出会い、同じ「エレキ合戦」に出場したバンド「アイビーシスターズ」のメンバーの一人は、後に加山雄三夫人となった[[松本めぐみ]]である。
*この作品の楽器提供は[[テスコ (楽器メーカー)|テスコ]]が行っていたが、オープニングのタイトル部分と、中盤からの日光での演奏シーンからは、同作品の撮影に間に合わせる為に製作されたという[[ヤマハ・SG|ヤマハSG-5「ブルージーンズカスタム」]]の試作品を使用している。またこの他にも、撮影に入る前に来日し、「[[夜のヒットスタジオ]]」([[フジテレビ]])で共演した[[ザ・ベンチャーズ]]の[[ノーキー・エドワーズ]]からプレゼントされた[[モズライト|モズライト・ベンチャーズモデル]]([[1964年]]製)を使用している。このギターは現在[[静岡県]]にある「加山雄三ミュージアム」で展示保存されている。
 
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