「西欧の服飾 (15世紀)」の版間の差分

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== 特徴 ==
[[ファイル:Junger Stutzer (15th century).jpg|160px|right|thumb|Junger Stutzer]]
15世紀前半は代表的な中世の衣装であるゴシック様式のファッションが完成した時期である。
[[15世紀]]前半は代表的な[[中世]]の衣装である[[ゴシック様式]]の[[ファッション]]が完成した時期である。ゴシック様式の[[衣類]]は、はっきりとした色づかい、奇抜な[[装飾]]、誇張された体型を特徴としていた。
男性は盛りあがった胸と広い肩を作り上げるため、キルティングのプールポアンの胸や袖付けに厚く綿を入れて逆三角形のシルエットを作っていた。
また下半身全体を覆うようになったホーズによって引きしまった脚を男性の魅力と考える傾向が生まれる一方、女性が足を露わにすることを冒涜的な行為として危険視した。
女性は長いスカートと角型の帽子によって二等辺三角形のシルエットを作り、ウエスト位置は胸のすぐ下まで上がっていた。
当時の女性は横から見てしなやかなS字のラインを描くスタイルを理想とし、左右に離れた小振りの乳房に胃のあたりから丸くふっくらした腹といった要素が当時の美女に共通する要素だった。
 
男性は盛りあがった[[]]と広い[[]]を作り上げるため、[[キルティング]]のプールポアンの胸や袖付けに厚く[[綿]]を入れて逆三角形のシルエットを作っていた。また[[下半身]]全体を覆うようになった[[ホーズ]]によって引きしまった[[脚]]を男性の魅力と考える傾向が生まれる一方、女性が足を露わにすることを冒涜的な行為として危険視した。
一方、14世紀後半に大きく力を増した商人階級は、より活発な商業活動を行うために製品の増産を求めていた。
 
それまで、製品は個々の工房や修道院で細々と作られていたが、労働力と設備を一か所に集めることで大量に品質の安定した製品を供給できる仕組みが作り上げられた。
女性は長い[[スカート]]と角型の[[帽子]]によって[[二等辺三角形]]のシルエットを作り、[[ウエスト]]位置は胸のすぐ下まで上がっていた。当時の女性は横から見てしなやかなS字のラインを描くスタイルを理想とし、左右に離れた小振りの[[乳房]]に胃のあたりから丸くふっくらした[[]]といった要素が当時の[[美女]]に共通する要素だった。
これが工場制手工業の芽生えである。
 
1446年には[[ルイ11世]]が[[リヨン]]に王立工場を設立する。
一方、[[14世紀]]後半に大きく力を増した[[商人]][[階級]]は、より活発な[[商業]]活動を行うために製品の増産を求めていた。それまで、[[製品]]は個々の[[工房]][[修道院]]で細々と作られていたが、[[労働力]]と設備を一か所に集めることで大量に品質の安定した製品を供給できる仕組みが作り上げられた。これが[工場制手工業]の芽生えである
後年のフランス王室がファッション産業によって富を蓄えるようになるのは、これら王立工場の技術とセンスに支えられていた。
 
特に、多くの裕福な大商人を抱えるフィレンツェでは都市への富の集中と商人の勢力の拡大によって、封建領主やその庇護を受ける教会による干渉を離れた人間礼賛・古典文芸の復興という風潮が盛り上がっていく。
[[1446年]]には[[ルイ11世]]が[[リヨン]]に王立工場を設立する。後年のフランス王室がファッション産業によって富を蓄えるようになるのは、これら王立工場の技術とセンスに支えられていた。また、特に、多くの裕福な大商人を抱える[[フィレンツェ]]では都市への富の集中と商人の勢力の拡大によって、[[封建領主]]やその庇護を受ける教会による干渉を離れた人間礼賛・古典文芸の復興(ルネサンス)という風潮が盛り上がっていく。[[西ヨーロッパ]]の封建領主が度重なる戦争によって疲弊していく中、イタリアはファッションの中心地として発展する。
 
== 男子の服装 ==
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