「エドマンド・マスキー」の版間の差分

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上院議員時代には大気汚染防止法を提出し、同法案は[[マスキー法]]として知られた。1970年にCARB([[:en:California Air Resources Board|California Air Resource Board]])によって制定されようとしたが、1974年に廃案となった。自動車の排気ガス量を10分の1に削減するという法案で、この法案の提出、制定の動きは日本の自動車業界にも大きな影響を与え、その後自動車開発における環境保護の重要性が認識されるようになった。
 
マスキーは1968年の大統領選挙に於いて民主党の[[副大統領]]候補であった。1972年の大統領選挙では民主党の[[大統領]]候補として考えられていた。しかし[[ベトナム戦争|ベトナム]]反戦を正面に掲げた[[サウスダコタ州]]選出の上院議員[[ジョージ・マクガバン]]候補にモメンタムを奪われ、[[アイオワ州]]の党員集会と[[ニューハンプシャー州]]での予備選挙では小差で勝利したものの、その後の各州での予備選では振るわず、結局民主党の指名はマクガバンに敗れた。保守的な新聞が夫人のジェーンの喫煙などを批判し、マスキーが涙を流したことが敗北の原因と考えられているが、マスキーは後に屋外でのコメントだったため解けた雪が涙のように見えたのだと主張した (これ以降「大統領を目指す者は公の場で決して涙を見せてはならない」というのが選挙戦の不文律となった)。マスキーが大統領候補に指名されていたならば[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]を破ることができたのではないかと考える者もいる。いずれにしろ生きる意味のない馬鹿者であったことは言うまでもない
 
==関連項目==