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[[ファイル:JRCentralOhafu17-1.jpg|thumb|200px|right|オハフ17 1(1996年以降)]]
 
'''トロッコファミリー号'''(トロッコファミリーごう)は、[[1987年]](昭和62年)から[[2006年]](平成18年)までの毎年[[春]]から[[秋]]にかけて[[飯田線]]の[[豊橋駅|豊橋]] - [[中部天竜駅|中部天竜]]間で運転されていた[[東海旅客鉄道]](JR東海)の[[トロッコ列車]]である。
 
[[1985年]](昭和60年)に[[長良川鉄道越美南線|越美南線]]で運転が開始された「清流[[長良川|ながら]]号」が[[1986年|翌年]](昭和61年)の[[長良川鉄道|第三セクター鉄道]]転換]]によって[[日本道|国鉄]]車両での運転できなくなったことから、この列車のために用意されていた車両を風光明媚な飯田線南部に転用し運転を開始したのが本列車である。
 
== 運転 ==
列車番号が8000番台の[[臨時列車#予定臨時列車|予定臨時列車]]として設定。全盛期は3月から11月にかけての土日と祝日、[[春休み]][[夏休み]]期間は連日運転され、年間100日ほど運転されていた。しかし[[2001年]]以降運転日は年々削減され、年間50日ほどの運転となっていた。
 
全席指定の[[普通列車]]として設定され、[[座席指定券|指定券]]1枚で[[控車]](客車)とトロッコ車両のどちらにも座れるシステムになっていた。
 
[[佐久間ダム]]や[[1991年]]に中部天竜駅構内に開設された[[佐久間レールパーク]]や観光に便利なダイヤが設定されていた。トロッコ車両は[[豊川駅 (愛知県)|豊川]] - 中部天竜間で乗車可能であったが、豊橋 - 豊川間は[[複線]]区間であるため、列車のすれ違いの際危険であることからトロッコ車両には立ち入ることができないようになっていた。
 
沿線の自然を体感するための列車であることから、普通列車よりも所要時間のかかる低速のダイヤが設定され景観の素晴らしい宇連川(板敷川)に沿う湯谷温泉 - 三河槙原間では特に低速で運転された。

列車の営業区間は中部天竜までであったが、車両はその先の[[水窪駅|水窪]]まで[[回送列車|回送]]のうえで折り返し作業を行っていたため、[[城西駅|城西]] - [[向市場駅|向市場]]間の通称「渡らずの鉄橋」を行くシーンなどもファンに提供した。しかし水窪駅の業務委託化のため[[2001年]]から折り返し作業を終着駅の中部天竜駅で行うようになり、この区間の回送列車も廃止となった。
 
=== 停車駅 ===
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== 車両 ==
運行開始当初は、[[国鉄トラ90000形貨車|トラ90000形無蓋貨車]]3両(91388,91402,91818)に簡易な座席と屋根貫通路を設置したトロッコ車両を[[控車]][[国鉄スハ43系客車|オハフ46形客車]]2両(2009,2027)がはさむ編成で、牽引機には貨物営業末期の飯田線で貨物列車を牽引していた[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形ディーゼル機関車]]があてられた。
 
[[1989年]](昭和63年)からは列車としての魅力を高めるため、往年の本線用急行旅客機[[国鉄EF58形電気機関車|EF58形電気機関車]]が牽引機に抜擢され、同形式の[[動態保存]]列車としての性格も帯びるようになった。[[静岡車両区|JR東海静岡運転所]]に所属する122号機と157号機が交代で牽引にあたり、この頃には両機が異なる塗色に塗られた(122号機が茶一色、157号機が青に前面警戒色)こともあって人気を集めた。
 
[[1989年]](昭和63年)からは、列車としての魅力を高めるため、往年の本線用急行旅客機[[国鉄EF58形電気機関車|EF58形電気機関車]]が牽引機に抜擢され、同形式の[[動態保存]]列車としての性格も帯びるようになった。JR東海[[静岡車両区|静岡運転所]]に所属する122号機と157号機が交代で牽引にあたり、この頃、両機が異なる塗色に塗られた(122号機が茶一色、157号機が青に前面警戒色)こともあって人気を集めた。[[1992年]](平成4年)からは[[佐久間レールパーク]]の静態保存機から動態復元された[[イギリス]]製で飯田線にも縁の深い[[国鉄ED18形電気機関車|ED18形電気機関車]](2号機)牽引機に加わり、さらに魅力を増すことになった。
 
1992年には控車の冷房化を図るため、控車のオハフ46形1両を[[国鉄12系客車|12系客車]]2両(スハフ12 31、オハ12 178)に置き換え、[[1993年]](平成5年)にはトロッコ車両の乗車定員増を図るため、パレット輸送用[[荷物車]][[国鉄マニ44形客車|マニ44形]]を改造したオハフ17形(1)を増備してオハフ46形を置き換えた。これにより基本的な編成は、中部天竜方からスハフ12 - オハ12 - トラ90000×3 - オハフ17となったが、トラ90000形とオハフ17形を分割使用したり、オハフ46形を控車に使用したりするなどして、飯田線北部でもトロッコ列車を運転することができるようになった。
 
これにより基本的な編成は中部天竜方からスハフ12 - オハ12 - トラ90000×3 - オハフ17となったが、トラ90000形とオハフ17形を分割使用したり、オハフ46形を控車に使用したりするなどして飯田線北部でもトロッコ列車を運転することができるようになった。ちなみにオハフ17形の17は車両の性能を示すものではなく、伊那地方を走っていることから付けられたものである。
 
[[1996年]](平成8年)には老朽化したトラ90000形の置き換え用にオハフ17形(11)が改造製作され、控車がスハフ12形2両(31, 104)に変更された。この時増備されたオハフ17 11は車端部が両方とも貫通構造となっており、控車が電源装置を装備したスハフ12形2両となったこともあって、スハフ12形オハフ17形各1両によるトロッコ列車の南部・北部同時設定にも対応することとされた。この際4車種4様であった外板塗装を青をベースに窓まわりクリーム色とし、腰板に金色で"CENTRAL JAPAN RAILWAY"のロゴを描いた統一的なものに変更した。編成は中部天竜方からスハフ12 104 - スハフ12 31 - オハフ17 11 - オハフ17 1となり、この編成で2006年の運転終了まで使用された。
 
牽引機は[[2005年]](平成17年)8月にED18 2が致命的な故障を起こして運用を離脱しEF58形の2両体制となったが、さらにEF58 122が老朽化により運用を離脱することになり残るEF58 157だけでは運用がまかなえなくなることから2006年5月7日をもって運転終了となった。
 
運転終了後客車は長い間[[美濃太田車両区]]で休車となっていたが、2007年11月5日をもって[[廃車され (鉄道)|廃車]]となった。
 
== 後継の列車 ==
飯田線においては廃止後こうした観光列車はしばらく運転されていなかったが、[[2010年]]より本列車の上の質的な後継として[[国鉄117系電車|117系電車]]改造の[[ジョイフルトレイン]]「そよ風トレイン117」が週末中心に運行されるようになっている。
 
{{国鉄・JRの客車}}