「リトアニア独立革命」の版間の差分

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== サユディス結成 ==
[[1988年]][[6月3日]]35人の知識人(共産党員も非共産党員もまじっていた)が民族組織「[[サユディス]]」([[:lt:Sąjūdis]]「運動」の意)の草創グループを組織した。当初は独立は意識せず、ゴルバチョフ政権のペレストロイカ、グラスノスチ、民主化を支持し、自治を求めてゆくものだった。この年、4月には[[エストニア]]、6月には[[ラトビア]]でそれぞれ[[人民戦線]]が組織された。サユディスの議長には音楽学者でリトアニア音楽アカデミー教授の[[ヴィタウタス・ランズベルギス]]が選出された。大規模集会が開かれ、[[サミズダート|地下出版]]の新聞も多く刊行された。リトアニア語の公用語化、[[独ソ不可侵条約]]の[[独ソ不可侵条約#秘密議定書|秘密議定書]](ドイツとソ連によるバルト三国併合の合意)の暴露など、民族的な要求が出され、次第に運動は独立を志向するようになっていった。
 
== 人間の鎖 ==
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[[1月11日]]軍事介入が始まる。
* 11時50分、ヴィリニュスの国防省の建物占拠。
* 12時00分、ヴィリニュス出版センターを包囲、占拠。市民に対し、実弾を発砲し始める。数人負傷。
* 15時00分、リトアニア共産党中央委員会の建物で記者会見。反独立派の共産党が「リトアニアソビエト社会主義共和国・国家救済委員会」の設立を宣言し、自らが唯一合法的な政府であると述べた。
* 16時40分、共和国、サウダルガス外相、ソ連外務省にソ連軍の暴力行為について懸念を表明。
* 21時00分、テレビ中継基地占拠。
[[1月12日]]
* 最高会議の徹夜で審議。ランズベルギス、三度ゴルバチョフに電話するが通ぜず。
* リトアニア全土から国民が集まり、最高会議、ラジオ・テレビ局、テレビ塔、主要電話局などの重要拠点の守備に当たる。
[[1月13日]]
* 01時50分、戦車および兵士がテレビ塔を守備する市民に発砲、また戦車が市民の列に列に突入。13人が死亡。ソ連軍兵士の一人が味方の発砲で死亡。
* 02時00分 ラジオ・テレビ局を襲撃。生放送中のテレビが中断される。最後の映像はカメラに向かってくる兵士の姿だった。
* この二回の襲撃が行われている中、独立を支持する大群衆が最高会議ビル周囲に集まる。夜には2万人、朝には5万人に達した。臨時の礼拝所が最高会議ビルの内外に設けられ、祈りがささげられた。人々は独立のスローガンを叫び、民族の歌を歌った。軍用トラックや戦車の車列が近くまで来たが、攻撃はしなかった。
 
この流血の直後、リトアニア最高会議は全ソビエトと西側世界に向かって、文書で声明を出した。それは攻撃を非難し、外国政府に対し、ソ連が主権国家に対する侵略行為を始めたことを認めるよう求めるものだった。
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[[categoryCategory:リトアニアの歴史|とくりつかくめい]]
[[categoryCategory:東欧革命]]
[[categoryCategory:民主化運動]]
 
[[en:Sąjūdis]]