「毛内有之助」の版間の差分

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たとゥ (会話 | 投稿記録)
「全身を負傷」の過剰解釈では?
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([[茨木司]]、[[佐野七五三之助]]、富川十郎、中村五郎らも同時に合流を望んだが、伊東が残留させた。結果は最悪の事態に。)
[[薩摩藩]]が多額の費用を彼らに充てた。しかし、近藤らの襲撃が怖くて、眠りも浅い状態で日々を送っていた。
慶応3年11月18日伊東が暗殺され、藤堂、服部、富山らと現場の油小路に遺体を引き取りにいき、かつての同僚の新選組に包囲され、斬殺(五体をバラバラにされてしまう)される。富山は生還。
 
==関連項目==