「奉直戦争」の版間の差分

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== その後 ==
政権を掌握した張作霖政権も磐石なものではなかった。孫文没後の[[1926年]][[3月20日]]後を継いだ[[蒋介石]]は[[中山艦事件]]によって国民党の実権を掌握。[[1926年]][[7月1日]]に[[北伐]]宣言を発表。[[1927年]][[4月12日]]、[[上海クーデター]]で[[中国共産党]]と敵対関係になった。[[1928年]][[6月4日]]、張作霖は北京より脱出したが、最終的には[[満州某重大事件]]により命を落とすことになった。[[7月1日]]、張作霖の息子、[[張学良]]は蒋介石に降伏([[易幟]])。蒋介石が中華民国(南京政府)の主席となった。[[1936年]][[12月12日]]張学良が[[西安事件]]で蒋介石に[[国共内戦]]停止と抗日を説得。[[第二次国共合作]]以後、日本との対決を深めることになった。
 
== 関連項目 ==