「ベニート・ムッソリーニ」の版間の差分

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Sarandora (会話 | 投稿記録)
en:Benito Mussolini 12:48, 13 September 2010版より記事強化
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政治家としての主な業績はまず政権初期の[[1924年]]から開始された経済政策が挙げられる。1939年まで続けられたこの経済政策はラツィオ州の湿地帯([[:en:Pontine Marshes]])の開拓に代表される[[公共投資]]や労働者保護、[[公共交通機関]]の統制など多岐に亘った。また宗教政策では普仏戦争以来の[[教皇領]]問題に解決案を提示して、[[ラテラノ条約]]の締結による[[ローマ・カトリック]]との和解に成功した。対外政策では植民地、及び経済植民地への影響力強化を推進して海外市場の拡張に努めた<ref>{{cite book|last=Warwick Palmer|first=Alan|title =Who's Who in World Politics: From 1860 to the Present Day| publisher=Routledge|url=http://books.google.com/?id=YdMWTvXhVlUC&pg=PA259&lpg=PA259&dq=mussolini's+achievements|isbn=0415131618|year=1996}}</ref>。
 
零落の切っ掛けは第二次世界大戦に対する判断であった。当初、[[第一次世界大戦]]の様な塹壕戦による泥沼化を予想して、中立的な態度を維持していた。だが一ヶ月間という短期間でフランスが降伏に追い込まれる様子から、準備不足の中で世界大戦への参加を決断した<ref>{{cite Journal|last=Humphrys|first=Julian|title =BBC History magazine| publisher=Bristol Magazines Ltd|issn=14698552|month=June|year=2010}}</ref>。連合軍によるシチリア占領を経て、ファシスト党内でのクーデターでムッソリーニは失脚した。その後もドイツの後ろ盾でイタリア社会共和国を組織したが敵わず、連合軍に援助されたパルチザンにより処刑された。
 
== 生涯 ==