「アルフレート・ヴェーバー」の版間の差分

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これら古いタイプの歴史・文化社会学への批判を踏まえて[[社会学]]の方面から再度の発展がみられた。無時間的な社会学的構造分析の補完物としてだけ歴史的過程を扱うのではなく、歴史的な概観分析(Gschichtliche Querschnittanalysen)を行おうとするものである。その優れた代表例は[[ゲオルク・ジンメル|ジンメル]]の[[形式社会学]]である。第二に成立したのは、[[デュルケーム学派]]の行ったような社会学的な対象の時代・地域関連分析である。その最高の例が、[[リュシアン・レヴィ=ブリュール|レヴィ=ブリュール]]の未開人研究である。これらの研究様式は社会学においてよりも、先史時代や民俗誌の研究においてより多くの実りをもたらしたし、影響を与えてきた。また、以上に隣接して[[社会心理学]]が成立した。社会心理学は、一方では社会の[[行動主義]]となり(ヴィーゼ)、また他方では社会誌(Soziographie)と結びつくことで、統計的・経験的研究となった(とりわけアメリカの場合)。以上の諸研究の他にも、社会の個別領域の研究([[政治社会学]]、[[法社会学]]他)や、特殊な社会学的概観の枠組み([[芸術社会学]]、[[音楽社会学]]、[[知識社会学]]他)、さらに個別的な社会学的因果系列の探求([[マックス・ヴェーバー]]の『プロテスタンティズムと資本主義の精神』や、普遍史的な関連性を扱ったものとしては、彼の[[宗教社会学]])が行われた。大変広範囲にわたる分析の展開の結果、当然ながら、社会学とは本来何なのかという問いが浮上してきた。
 
しかしながら、歴史の全過程を経験的に認識しようとする考え方は消滅したわけではなく、20世紀の冒頭に再び盛んになった。その背景には、当時実際に歴史的な大転換に差しかかっているという認識があったのだろう。それ以来歴史の全過程を認識できるのかということが方法論研究の問題となった。実質的にこの研究に参加していたのは[[エルンスト・トレルチ|E・トレルチ]]と[[オットー・ヒンツェ|O・ヒンツェ]]であった。ただし彼らとは別に、[[オスヴァルト・シュペングラー|シュペングラー]]による歴史全過程を通覧する構想も成立していた。しかしシュペングラーの著作は独創的ではあるが、経験科学的に完全に基礎づけられているとはとはいいがたい。科学的な歴史・文化社会学の限界と可能性を現実的に明らかにしなければならないという方法論上の必要性が生じてくることになった。方法論的基礎付けの必要は[[アーノルド・J・トインビー|A・トインビー]]の第一級の歴史的業績である『歴史の研究』にもいえる。というのもこの研究はシュペングラーの「文化形態学的」循環論に依存しているからである。
 
歴史・文化社会学を科学的検証に耐えうるものとして構想しようとするならば、以下のような条件を満たしておかなければならない。すなわち歴史・文化社会学は歴史の構造論でなければならない。歴史の構造論は社会学として歴史の内的な構造過程(innerer Strukturverlauf der Geschichte)を経験的に明らかにする。それは構造過程が持っている一般的な諸傾向を明確にする意図を持ち、またそのことによってこの構造論は外的な構造過程(auァerer Strukturverlauf)と結びつけられる。なお外的な構造過程もまた同じように一般的な諸傾向を問う。そしてこれらは歴史的・社会学的な全体的観点に媒介され、そこでは内的な構造化が外的な構造化とダイナミックに結びつくのである。