「タコマナローズ橋」の版間の差分
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[[画像:Tacoma_Narrows_Bridge_1993,_HAER_WA-99-16.jpg|thumb|250px|タコマナローズ橋、[[1950年]]の再建後のもの]]
[[画像:Tacoma Narrows Bridge Falling.png|thumb|250px|初代タコマナローズ橋の崩落([[1940年]][[11月7日]])]]
{{試聴|filename=Tacoma Narrows Bridge destruction.ogg|title=落橋|description=落橋の様子}}
'''タコマナローズ橋'''(タコマナローズきょう、Tacoma Narrows Bridge : タコマ橋)は[[アメリカ合衆国]]、[[ワシントン州]]の[[ピュージェット湾]]にある[[海峡]]、[[タコマナローズ]] (Tacoma Narrows) に架かる[[吊り橋]]である。
初代の橋は設計上の問題から、架橋後間もない
== 沿革 ==
初代タコマナローズ橋は
当時の最新理論に基づいて設計されており、架橋当時は世界で第3位の長さだった。当初設計は、アメリカでの橋梁設計の第一人者であった[[レオン・モイセイフ]]([[:en:Leon Moisseiff]])による。
== 架橋から落橋まで ==
[[1920年代]]から架橋計画は取り沙汰されていたものの、建設が決定されたのは
当初、余裕を取って幅広に設計されるはずであったが、コストの制約から[[自動車]]の[[対面通行]]に一応支障ない程度の、比較的狭い幅員で建設された。モイセイフはコストと構造合理化の両面を考慮し、橋本体について、[[橋桁]]の寸法をごく薄くした野心的な軽量設計を採用した。当時最新の架橋理論によれば、これでも必要な強度は確保でき、強風にも耐えられると判断されていたが、専門家の一部にはこれを不安視する声もあった。
果たして建設中から、タコマナローズ橋は風のある日に大きく揺れ、たわみ、ねじれることを露呈した。橋桁は上下方向に揺れ、路面はあるところでは高くなり、あるところは低くなるのが、橋上にいてもはっきりわかるほどで、工事関係者を気味悪がらせた。このため開通を1ヵ月後に控えた[[6月1日]]と[[6月2日|2日]]には、橋の中央部でメインケーブルと桁をV字型に結ぶステーと、塔と桁を結ぶ[[ダンパー]]が設置された。
開通後も少々の風でひどい揺れを生じたため、さらに[[10月4日]]から[[10月7日|7日]]にかけて側径間から地上へケーブルが張られた。しかしそれでも根本的な揺れは収まらなかった。
竣工後も派手に揺れ続け、振幅が1メートルを超えることもあったこの橋には、早くから[[ロデオ]]競技になぞらえて"Galloping Gertie"(馬乗りガーティ)というあだ名が付くほどだった。橋を自動車で渡る[[運転手|ドライバー]]が、走行中の異様な震動で「橋酔い」することすらあり、新しい橋に危惧を抱く者は、遠回りを承知で湾奥経由の移動を選んだ。
なお、落橋直前は明らかな危険状態であったことから、いち早く両岸で通行規制が敷かれ、崩壊直前には、橋の上の状況観察に徒歩で赴いた[[技術者]]・[[研究者]]らも陸上へ避難していた。従って落橋の瞬間には橋梁上は無人で、人間の死亡者は生じなかった。犠牲となったのは、橋の上に停められた車にとり残されていた[[アメリカン・コッカー・スパニエル]]犬一匹のみだった。
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落橋後の原因調査で、桁が薄い板状になっていると、振動が非常に起こりやすいことがわかった。この振動は横風によって桁の上下に発生した空気の[[渦]]が桁を上下に振動させ、さらに大きな渦が発生して[[共振|振幅を増大させ]]る[[自励振動]]([[発散]]振動)と呼ばれる。タコマナローズ橋の場合は、桁の薄さと幅員の狭さが相まって[[剛性]]が不足し、ついには振幅増大による崩壊を許容してしまったのである。反省から、以後多くの長大吊り橋には、補強のための補剛[[トラス]]が備わることとなった。
タコマナローズ橋落下は[[第二次世界大戦]]激化とも相まって、長大吊り橋の建設を一時停滞させることにもなったが、この教訓から長大吊り橋においては、補剛トラスで十分な強度を確保することの重要性が認識されるようになった。更なる改良として、
[[Image:TacomaNarrowsBridge1.jpg|thumb|center|500px|[[1950年]]完成の新しいタコマナローズ橋と、[[2007年]]完成の第二の橋]]
タコマナローズにはその後新しい橋が建設され、
== 参考文献 ==
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