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'''中野 泰宏'''(なかの やすひろ、[[1977年]]([[昭和]]52年)[[5月18日]] - )は、[[関西棋院]]所属のプロ[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]]。[[福岡県]][[豊前市]]出身、[[森野節男]]九段門下。[[関西棋院]]所属。1992年(平成4年)入段、1998年(平成10年)六段、2000年(平成12年)七段、2002年(平成14年)八段、2005年(平成17年)九段
 
== 略歴 ==
2006年(平成18年)、第54回[[NHK杯テレビ囲碁トーナメント]]1回戦において[[石田芳夫]]と対戦。終局直前の場面で黒番・中野優勢であったところ、自ら駄目を詰めて石を取られに行くという大失着を犯し(その結果、左辺一帯の黒石は全滅)、まさかの大逆転負けを喫した。関西棋院が2007年末に発売した「囲碁格言カルタ」には、これを題材にした「[[アタリ (囲碁)|アタリ]]に突っ込むプロもいる」という一枚が入っている。
* [[1985年]] 豊前市立千束小学校2年時に、父や周囲の勧めもあり囲碁を学び始める。
* [[1987年]] 同小4年で[[少年少女囲碁大会]]に出場し、途中敗退。以降3年連続し出場を果たし、[[1989年]]の5位が最高成績であった。
* [[1990年]] 小学校卒業と共に上阪し、この年にできた関西棋院寮に入り院生となる。
* [[1992年]] 入段を果たす。
* [[2005年]]1月、2004年度で[[大手合]]制度が廃止されるため、昇段規定改定経過措置中に九段に昇段したため、大手合の成績が加味され九段に昇段した。このため大手合による最後の九段棋士ともいえる。
* [[2006年(平成18年)]][[4月9日]]放送の、第54回[[NHK杯テレビ囲碁トーナメント]]1回戦において[[石田芳夫]]と対戦。終局直前の場面で黒番・中野優勢であったところ、自ら駄目を詰めて石を取られに行くという大失着を犯し(その結果、左辺一帯の黒石は全滅)、まさかの大逆転負けを喫した。関西棋院が2007年末に発売した「囲碁格言カルタ」には、これを題材にした「[[アタリ (囲碁)|アタリ]]に突っ込むプロもいる」という一枚が入っている。また本人にとっても衝撃を受けたようで、関西棋院の自身の紹介ページでファンへの一言が、本件についてとなっている他[[日本棋院]]の棋士リレーエッセイでも言及している<ref>[http://www.nihonkiin.or.jp/blog/kimagure/2007/03/no25.html プロ棋士の気まぐれリレー日記2007年3月9日]</ref>
* [[2007年]]6月末、生活の本拠を東京へ移す。関西棋院での対局には交通費自己負担で大阪へ戻り、大阪滞在中は関西棋生の間借りしている。
 
== 昇段 ==
2007年6月末、生活の本拠を東京へ移す。関西棋院での対局には交通費自己負担で大阪へ戻り、大阪滞在中は院生の寮を間借りしている。
* 1992年 初段
* [[1998年]] 六段
* [[2000年]] 七段
* [[2002年]][[5月27日]] 八段
* [[2005年]][[1月26日]] 九段
 
== 良績 ==
* [[関西棋院第一位決定戦]]準優勝 (第49回)
 
== 脚注 ==
<references/>
 
== 外部リンク ==
*[http://www.kansaikiin.jp/profile/cgi/profile.cgi?id=nakanoyasuhiro 関西棋院 / 棋士紹介 / 中野泰宏紹介]
*[http://pubgotu3.neexblog.jp/gotu2/ GOTU-23](本人によるブログ)
*[http://igo.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/namej/data/ko00220.htm 囲碁データベース]
*[http://pub.ne.jp/gotu2/ GOTU-2](本人によるブログ)
 
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[[Category:1977年生]]
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