「SENDAI光のページェント」の版間の差分

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|種類=[[イルミネーション#主な公共のイルミネーション・イベント|イルミネーション・イベント]]
|画像=SENDAI_光のページェント2007.jpg
|画像説明=[[定禅寺通]]の中央分離帯にある[[遊歩道]]の様子(2007([[2007]]
|通称=(正式略称)<br /> ヒカペ<br />(通称)<br /> [[光のページェント]]<br /> ページェント
|正式名称=スターライト・ファンタジー SENDAI光のページェント
|旧名称=
|開催時期=毎年[[12月12日]]~[[12月31日|31日]]
|初回開催={{jdate|[[1986}}年]]([[昭和]]61年)
|会場=[[定禅寺通]]・[[青葉通]]・[[勾当台公園]]・[[西公園 (仙台市)|西公園]]
|主催=SENDAI光のページェント実行委員会
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== 概要 ==
{{jdate|[[1986}}年]]([[昭和]]61年)、『「[[杜の都]]」から「[[光]]の都」へ<ref>[http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/shisei/old/sis0411/kirari.html 仙台市政だより 2004年11月号](仙台市)</ref><ref>[http://xmas.yahoo.co.jp/illumination/pickup/sendai.html 2007 SENDAI光のページェント]([[Yahoo! JAPAN]])</ref>』を理念に、市民[[ボランティア]]が「杜の都・仙台」を[[象徴]]する[[定禅寺通]]と[[青葉通]]の[[ケヤキ]][[街路樹|並木]]にイルミネーションを施したのが始まりである。例年、定禅寺通は、地上から見れば「光の[[回廊]]」となり、[[夜間飛行|ナイトフライト]]で上空から見れば「地上に舞い降りた[[天の川]]」となる([[仙台七夕]]に関連して形容<ref name=f92>[http://www.ashita.or.jp/publish/furu/f92/04.htm ふるさとづくり奨励賞](財団法人あしたの日本を創る協会)</ref>)。
 
現在は、定禅寺通の東部の[[勾当台公園]]や西端の[[西公園 (仙台市)|西公園]]にもイルミネーションが広がり、様々な付随イベントも行われるようになった。そのため、期間中280万人以上の人出がある仙台の冬の[[風物詩]]として、全国的な知名度を得るに至っている。
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自治体等からの[[補助金]]がある<ref name=kahoku061212/>ものの、運営資金の半分以上を企業からの[[寄付]]と市民からの[[募金]]によって賄っている。光のページェント期間中に市内の各地に専用の募金箱が設置される他、期間外においても、街頭募金や募金ライブイベントがある。また、飲料1本に付き設置者と自販機管理会社が1円ずつ計2円を募金する仕組みになっているユニークな自動販売機がある。
 
実行委員会を中心に市民ボランティアが開催するイルミネーション・イベントとしては先駆例であり、かつ、20年以上も市民主体の体制を維持しているため、[[神戸ルミナリエ]]を初めとする国内や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]など海外からの問い合わせや視察を受けており、イベント運営方法や資金集めの[[ノウハウ]]等を各地に伝える活動も行っている<ref name=YNP-SPoS>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shikakenin/sh20080105.htm 仕掛け人たち 第1部 地域おこし (1) みんなが輝く「光の杜」]([[読売新聞]] 2008年1月5日)</ref>。例えば、仙台市の[[姉妹都市]]であるアメリカ合衆国・[[リバーサイド (カリフォルニア州)|リバーサイド市]]の[[:en:Mission Inn|ミッション・イン]]周辺で開催される「光のフェスティバル」(''the Riverside Festival of Lights'') は、SENDAI光のページェントの影響を受けて始まった<ref>[http://www.justmystage.com/home/orangeclub/siryou/50th_anniversary_gala_ceremony_participating_tour_report.pdf 仙台・リバーサイド姉妹都市提携50周年記念行事に参加して](仙台リバサイド交流連絡会)</ref>。なお、[[サンタクロース|サンタ]][[パレード]]を開催している縁から、20周年にあたる{{jdate|[[2005}}年]]([[平成]]17年)には、[[サンタクロース村]]がある[[フィンランド]]・[[ロヴァニエミ|ロヴァニエミ市]]が主催する[[サンタクロース村#クリスマスシティネットワーク|クリスマスシティネットワーク]]に仙台市が加盟した。
 
{{jdate|[[2008}}年]](平成20年)より、期間中のケヤキのイルミネーションを[[バイオマス]][[発電]]による[[グリーン電力証書|グリーン電力]]によって100[[パーセント|%]]まかなっている<ref name="senkei359">[http://sendai.keizai.biz/headline/359/ 「SENDAI光のページェント」開幕迫る-屋外スケートリンクも新登場](仙台経済新聞 2008年12月9日)</ref><ref>[http://www.tohoku.meti.go.jp/enetai/energy/shin_ene/081031_lightup.pdf グリーン・クリスマス・ライトアップ施設・イベント等の一覧]([[経済産業省]]東北経済産業局 2008年10月31日)</ref>。{{jdate|[[2009}}年]](平成21年)からは総電球数の1/3(約20万球)を消費[[電力]]が[[白熱電球|白熱球]]の約1/10である[[発光ダイオード|LED]]に置換し<ref name="kahoku091201">[http://www.kahoku.co.jp/news/2009/12/20091201t15031.htm 温かに仙台色LED ページェントで12日デビュー]([[河北新報]] 2009年12月1日)</ref>、<!--2008年は32,000[[キロワット時|kWh]]だったが<ref name="senkei359"/>-->17,000[[キロワット時|kWh]]<ref>[http://www.sendaihikape.jp/0101about.html 2009SENDAI光のページェントの取り組み]</ref>まで使用電力を削減した。
 
== 電飾の特徴とその様子 ==
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電飾に使われている[[電球|豆電球]]は、実行委員会と電球メーカーが共同開発したものである。実行委員会では、この豆電球のことを「スターライトリーフ」(光の葉)と呼んでいる。この豆電球は、SENDAI光のページェント以外では、[[東京ディズニーリゾート]]でも使用されている。期間中、1つの「スターライトリーフ」を点灯するためには125円かかるという(単純計算で、80万個使用すると約1億円の費用がかかる)。なお、豆電球は[[白熱電球]]であるため[[発光]]時に[[発熱反応|発熱]]するが、ページェントが行われる夜間は気温10[[セルシウス度|℃]]以下になり、また、電飾の重量も軽いため、[[植物学]]の専門家がケヤキの成長に影響はないだろう<ref>[http://www.kahoku.co.jp/busi/pageant/history.html PAGEANT HISTORY](河北新報 「2009 SENDAI 光のページェント応援プロジェクト」)</ref>との見解を示している。
 
{{jdate|2009}}年(平成21年)には、総電球数の1/3(約20万球。定禅寺通の[[西公園通]]~[[晩翠通]]の間)を、軽量で発熱量が小さく、かつ、[[電力量|電力消費量]]が「スターライトリーフ」の約1/10である[[発光ダイオード|LED]]に置換した<ref name="kahoku091201"/>。このLEDの[[商品名]]は「SENDAI光のページェント」であり、実行委員会とメーカー([[日亜化学工業]])とが4年をかけて共同開発した<ref name="kahoku091201"/>。単価は「スターライトリーフ」の約4倍で、導入経費は約1000万円となる<ref name="kahoku091201"/>。
 
=== 電飾法 ===
他の都市で行われているケヤキへの電飾法は、資金的な理由、あるいは、暖かい地方では[[12月]]でも[[落葉性|落葉]]が終わらないことなどから、木の幹から大枝沿いに豆電球またはLED付き電飾コードをくくり付ける方法である。そのため、夜陰に「冬枯れ木」の形が浮かび上がるように見える。
 
他方、仙台の場合は[[12月]]にはケヤキの落葉がほぼ終わっているため、幹や枝沿いの他に、枝と枝の間の空中にも電飾コードを渡すことが出来る。そのため「夏季に葉が生い茂っている状態のケヤキの形」のように見える。また、概ね落葉しているために、上から眺めても電飾が見える(暖かい地方では、この時期に落葉し切っていないため、上から見ても葉が邪魔して電飾はほぼ見えない)。上からの観賞が可能なことによってSENDAI光のページェントは、[[仙台七夕]]と関連付けもあって「地上に舞い降りた[[天の川]]<ref name=f92/>」との形容がなされ、また、沿道のビルの上階に位置する[[レストラン]]などが上からの眺めを売りにした観光ディナーブランを設定したり、[[セスナ機]]や[[ヘリコプター]]によるナイトフライトが観光商品として成立したりしている。
 
この電飾法は、樹木1本あたりの電球数を増加させるため、迫力は出るもののコストが高い。樹木の大きさが異なるが、同様にケヤキ並木に電飾している仙台(2006年)と新潟の[[NIIGATA光のページェント]]とを比べると、電飾設置ケヤキ本数が仙台約220本、新潟210本で同程度なのに対し、電球総数は、仙台約70万個、新潟約26万個と、SENDAI光のページェントが3倍近く多くなっている。
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== 沿革 ==
[[第二次世界大戦]]の際の[[仙台空襲]]で焼け野原となった仙台市は、[[杜の都]]を象徴する屋敷林を失って、乾燥する冬季に特に砂埃が舞い、[[戦後復興期]]に「仙台[[砂漠]]」と呼ばれていた。そのため、[[道路]]の[[舗装]]や[[街路樹]]の[[植林]]によりこれを改善した。しかし、[[1970年代]]から本格普及した[[スパイクタイヤ]]により、冬季に[[粉塵]]が舞って再び「仙台砂漠」と呼ばれるようになった。{{jdate|[[1985}}年]]([[昭和]]60年)に宮城県が[[スパイクタイヤ規制条例]]を施行して規制の動きが始まったが、未だ「仙台砂漠」の状態だった{{jdate|[[1986|年]](昭和61年)[[2}}月]]、杜の都の新たな[[象徴]]の1つとなっていた[[定禅寺通]]のケヤキ並木が粉塵で汚れてしまっていることを憂いた市民が、並木に電飾をすることを思いつき、共感した市民たちの協力を得て約1年かけて準備し、SENDAI光のページェントは生まれた<ref>[http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun/EYgUF0KzeVL8Whjrpmi1/ 光のページェントと夢みる力](河北新報 Cafe Vita 2009年12月30日)</ref>。
 
光のページェントは、企業からの寄付と市民からの[[募金]]によって支えられているため、仙台の経済状況に呼応するようにイベント費用の中心をなす総電球個数が増減している。そのため、総電球個数は仙台の景気や消費動向の物差とも見られている。ただし、近年は観光客数の増大に伴う警備の出費も大きいため、総電球個数そのものよりも微分した変化量が有益な指標である。
 
光のページェント初年の1986年(昭和61年)の電飾設置ケヤキ本数は、定禅寺通44本、青葉通70本の計114本で、総電球個数は約30万個だった。[[2006年]](平成18年)のそれは、定禅寺通159本、青葉通62本の計221本で、約70万個である。
 
総電球個数が少なかった初期は、定禅寺通の中央分離帯の2列のみ、青葉通の中央分離帯1列のみだった。その後、総電球個数の増加に伴って、定禅寺通の[[東二番丁通り]]と[[晩翠通]]と交差する間の区間を4列化、青葉通と[[東一番丁通り]]の交点付近を3列化した。総電球個数が減少したときは、電球密度を減らすなどしてイルミネーション範囲を保つ試みもされた。近年は、定禅寺通の4列のケヤキ並木のイルミネーションが観光客に人気があるため、電球設置を定禅寺通に集中させ、[[西公園通]]まで4列電飾化を伸ばしている。青葉通は、[[仙台駅]]前部分、および[[一番町 (仙台市)|一番町]]との交差点部分には人の流れがあるが、それ以外の区間は並走する商店街の[[中央通り (仙台市)|中央通り]]の方に人の流れがあるため、仙台駅前および一番町交差点以外の区間の3列電飾化は資金的な観点からも見送られている。
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=== 企業広告の受け入れ ===
[[ファイル:auツリー.JPG|thumb|シンボルツリー(auツリー)2005年]]
[[2003年]](平成15年)に[[バブル景気]]以降最低の総電球個数となり、イベントの存続自体が危ぶまれる事態となった。そのため、[[2004年]](平成16年)以降、安定的なイベント開催のために企業広告を一部受け入れ、光のページェントの公式パンフレットに企業広告が掲載されたりするなど、光のページェントにおいて企業名が目につくようになった。
 
=== 年表 ===
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中心的な会場は定禅寺通り(最寄駅:[[勾当台公園駅]])と青葉通り(同:[[仙台駅]]・[[あおば通駅]])である。通りそのものが会場となるため、期間中は車道、歩道ともに混雑が激しい。また、定禅寺通りと国分町通りの交差点に「光の歩道」が設置されるため、17:20から20:30の間は国分町通りに交通規制が実施される。
 
光のページェント期間中、各交通機関が特別便を運行している。[[仙台市営バス]]では光のページェント期間中に[[るーぷる仙台]]の夜間特別運行をしている。これは、定禅寺通り、青葉通り、仙台駅を繋ぐ特別ルートを走るものである。また、[[2005年]]([[平成]]17年)からは定禅寺通りで[[ベロタクシー]]の特別運行が行われている。車道から光のページェントを眺めることが出来るので、徒歩での観光とは異なる風景が楽しめる。[[2006年]](平成18年)からは[[タクシー]]会社がタクシーでの観光プラン商品を提供している。[[2007年]](平成19年)から街中を周遊する屋根なし2階建てバス「[[スカイバス仙台]]」が特別運行されている。鉄道では、JRが[[ジョイフルトレイン]]による臨時列車を毎年、岩手県や福島県から運行している。また、[[仙台空港]]発着の[[セスナ機]]や[[ヘリコプター]]で、光のページェントを空から眺めることが出来る。期間中は夜間特別運行がなされ、クリスマス前後は予約が集中する。
 
== 参考文献・脚注 ==