「柳川平助」の版間の差分

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== 柳川文書の発見 ==
[[二・二六事件]]から70年を経過した2005年2月、長崎県大村市で、柳川平助が書いた自筆の書簡集が発見された。眼科医で、東彼杵郡医師会会長を務めたこともある実兄・楠木志能夫(くすきしのぶ、1953年死去)に、1927年から1944年の間に出されたもの。[[二・二六事件]]前において、政府や軍などに対して抱いていた不満、不信感がつづられており、貴重な資料となっている。
 
 
{{先代次代|[[司法大臣]]|[[1940年]] - [[1941年]]|[[風見章]]|[[近衛文麿]]}}
{{司法大臣}}
 
{{DEFAULTSORT:やなかわ へいすけ}}