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'''ブラス''' ('''Blanes''')は、[[スペイン]]、[[カタルーニャ州]]、[[ジローナ県]]の都市。[[コスタ・ブラバ]]に最初にできた観光地で、『コスタ・ブラバの入り口』(Portal de la Costa Brava)と呼ばれている。砂浜、洞窟、周辺の山々を楽しみに国内の観光客がやってくる。
 
==歴史==
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ローマ衰退後、[[西ゴート王国]]の一部となったあと、8世紀終わりまでアラブ人に支配された。
 
1002年に初めてその存在が知られたサン・ジュアン城は、カブレラ子爵家が所有した。13世紀、子爵がいくつかの特権や自由をブラネス港へ与え、定住を促進し経済が成長した。カブレラ子爵ベルナト4世は[[マルティーノ1世 (シチリア王)|若マルティン]]王子指揮下のアラゴン海軍で船長を務め、[[シチリア]]遠征で戦い、1400年には[[キプロス]]で戦った。王家は彼をモディカ伯としてその忠誠に報いた。新たな教会が村の頂上に建ち、ブラス子爵宮殿が新築された。この時代から村は城壁で覆われた。1423年には2つの病院ができた。
 
その地理的な好位置から、ブラスはいくつかの歴史上の出来事に立ち会ってきた。1113年、キリスト教国連合軍による[[バレアレス諸島]]遠征の時、艦隊が港に停泊した。1285年には対アラゴン遠征で[[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]のフランス海軍がブラネスに停泊し、村に火を放った。1355年には[[ジェノヴァ共和国]]から攻撃された。1415年、[[対立教皇]][[ベネディクトゥス13世 (対立教皇)|ベネディクトゥス13世]]が乗船した[[ガレー船]]を受け入れ、ブラネスから教皇は[[ペニスコラ]]へ向かった。16世紀には[[ビスカヤ]]やカスティーリャの船が停泊するようになった。町は海上交通で活気に満ち、漁民や船員の[[ギルド]]が生まれ、海岸には造船所ができた。
 
[[収穫人戦争]]後、ブラスの歴史は暗転する。[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]軍に幾度も攻撃され、カブレラ子爵家の宮殿が破壊された。[[スペイン継承戦争]]では[[ハプスブルク家]]支持に回ったために、降伏後は働き手の男たちを奪われた。18世紀終わりごろから平和な時代が続き経済が持ち直し、対新大陸貿易、漁業、農業、そして産業(レース、ロープ製造、[[コルクガシ]]など)が盛んになった。
 
1859年には鉄道が、1889年には電気で街灯がともされたにもかかわらず、19世紀末は造船所の不況やフィロキセラ流行によるワイン生産の壊滅的被害といった暗い時代であった。ブラス住民からは職を求めてアメリカへ渡る者たちが出た。
 
1950年代後半から、国の内外の観光客がブラス観光へやってくるようになり、1970年までに人口が倍増した。
 
==交通==
*鉄道 - ブラス駅。[[バルセロナ]]へは約30分
*バス - [[リョレート・デ・マル]]、マルグラ・デ・マル、トッサ・デ・マル、バルセロナ、カレヤ、ジローナ及びジローナ・コスタ・ブラバ国際空港との区間バスがある。
 
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[[Category:ジローナ県の自治体]]
[[Category:スペインの都市]]
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