「ロマノフ朝」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2007年9月}}
'''ロマノフ朝'''(ロマノフちょう)は、[[ロシア帝国]]の[[王朝]]である。[[16世紀]]末の[[フィラレート (モスクワ総主教)|フョードル・ニキーチチ・ロマノフ]]の代に台頭して[[リューリク朝]]後の[[動乱時代|動乱期]][http://www.geocities.jp/napowhis/smuta.html]を制し、その息子である[[ミハイル・ロマノフ|ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフ]]が[[1613年]]に推戴され初代[[ツァーリ]]に即位し、第18代[[ニコライ2世]]が廃位させられる[[1917年]]まで続いた。
 
専制君主として君臨し、[[ピョートル1世]](ピョートル大帝)の時代に西洋化・近代化を進めて[[ヨーロッパ]]の[[列強]]に加わり、その後勢力を拡大して[[ヨーロッパ]]から[[沿海州]]までを支配した。その後宮廷革命で[[ドイツ人]]の[[エカチェリーナ2世]]が即位する。この過程でロマノフ家には[[ドイツ]]系の血が濃厚となった。19世紀に入ると[[立憲君主制]]を求めて[[デカブリストの乱]]が起こる。[[ロシア第一革命]]で[[絶対君主制]]から立憲君主制へ移行し、[[ロシア革命]]で君主制そのものが打倒される。
#:キリルの息子。
# [[マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ|マリア・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ]](1953年 - )
#:ウラジーミルの娘。夫はミハイル・パヴロヴィチ([[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]の曾孫[[フランツ・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン]])
# [[ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ]](1981年 - )
#:マリアとフランツの間の息子。ロシア皇帝位継承権第1位であると共に、[[ドイツ帝国|ドイツ皇帝]]位および[[プロイセン|プロイセン王位]]王位継承権第8位である。
 
== 関連項目 ==
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