「甘樫丘」の版間の差分

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[[大化の改新]]以前に、[[蘇我蝦夷]]と[[蘇我入鹿]]の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。[[2007年]][[2月1日]]、東麓遺跡において7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている。
 
古くから誓盟の神([[甘樫坐神社]])が鎮座した。[[允恭天皇]]のとき、[[盟神探湯]](くかたち)が行われた。
 
山腹には明日香村の保全に尽力した[[犬養孝]]氏揮毫の万葉歌碑([[志貴皇子]](巻1-51))がある。