「嶋崎譲」の版間の差分

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C:CITE分類-タグが貼られた日時:2010年2月3日09:52(UTC)
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大学院卒業後、九州大学助教授、教授となる。[[向坂逸郎]]らと共に[[社会主義協会]]系の学者として活躍するが、1967年社会主義協会分裂の際は太田派の中心人物の一人となった。{{和暦|1969}}求められて九州大学教授を辞職し、石川一区から衆議院議員選挙に立候補するが落選。{{和暦|1972}}、衆議院議員に初当選する。その後太田派社会主義協会を離れ、右派グループで活動。後に、社民党を離党(除籍)し、市民リーグを経て民主党結成に参画。
 
石川県出身の[[寺越武志]]が[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]で生存していた事から母親の[[寺越友枝]]と{{和暦|1987}}に訪朝する。その際、寺越友枝に嶋崎の後援会パンフレット(1部500円)を400部購入することを要求した。{{要出典|date=2010年2月}}また、再会のシーンを撮ったビデオを地元のテレビ局に放映権を販売している。
 
== 経歴 ==