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大動乱のさなかの[[1613年]]、ポーランド王[[ジグムント3世|ジグムント3世ヴァーザ]]率いる軍にヴォロコラムスクは包囲され、勇敢に戦ったものの荒廃した。現在の市の紋章には城壁が描かれているが、この戦いに由来している。この時期には、ヴォロコラムスクは17キロメートル北西にあるヨシフ=ヴォロコラムスク修道院の付属の町となっていた。[[1781年]]にはヴォロコラムスクは市の地位を得て、新古典主義的な都市計画も行われた。19世紀には工場建設や近郊の農産物の集散が盛んに行われ、20世紀初頭には近くにモスクワ・[[リガ]]間の鉄道本線も通るようになっている。
 
[[1905年]]の[[ロシア第一革命]]では、繊維工場が集中するヴォロコラムスクは大規模な労働運動の中心となった。[[1917年]]10月末、[[十月革命]]が起こるとヴォロコラムスクにも[[ソヴィエト]]が成立した。[[1941年]]からの[[大祖国戦争]]([[独ソ戦]])では[[赤軍パルチザン|パルチザン]]がヴォロコラムスク周辺でドイツ軍と戦っている。ドイツ軍は[[1941年]][[10月27日]]から[[12月30日]]までヴォロコラムスクを占領した。大戦で破壊されたヴォロコラムスクは1950年代に復興し、1960年代には周囲の農村を併合している。
 
== 産業 ==