「野村克則」の版間の差分

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Ike179 (会話 | 投稿記録)
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== 人物 ==
* 非常に律儀で面倒見がよい。また、指導者としての能力も高く評価されており、人格者としても高評価をする人物は多い([[徳光和夫]]、[[江川卓 (野球)|江川卓]]など)。但し、「親に似ずに人格的には優れている」と評されることも多い
* ヤクルト・阪神時代には打率2割台半ば、 二軍でも3割を記録するなど、打撃面では平均的な実力を持つが、遠投では他の選手に遠く及ばない弱肩であり野球選手としては大成しなかった。一方練習熱心であり、また父親の威厳を笠に着ることもない好人物として知られている。阪神時代の[[桜井広大]]、巨人時代の[[小田幸平]]や[[二岡智宏]]、楽天時代の[[一場靖弘]]、[[竜太郎]]など後輩の面倒見もよく、[[2005年]]に一場が二軍落ちし落ち込んでいた時はほぼ付きっきりであったという。
* 上記の理由からかコーチ能力には定評があり良きバッテリーコーチ、相談相手として現役選手からは予々評判が良い。
* 子供の頃、父は45歳まで現役、その後も講演、解説、取材等で家を空けることが多く、野球以外のことで父親らしいことをしてもらった記憶がないと話していた。
* ヤクルト時代は[[石井一久]]を同い年ながら兄のように慕っており、お揃いのスパイクなどを履いていた。
* 引退試合で喫した1試合6許盗塁は、1人の捕手が1試合に許した盗塁の日本ワースト記録である(当時)。{{要出典範囲|相手の千葉ロッテは、最後の花道に盗塁を刺すシーンを用意しようという考えで積極的に走ったが}}、あまりの弱肩のために一つも刺すことができなかった。
* 通算出場222試合中克也が監督時の出場試合数は202あり、また新設コーチへの就任や一軍コーチへの昇格などは楽天ファンからも非難されていた。加えてヤクルト、阪神共に克也が監督だった頃は、二番手捕手や代打要員として起用されたものの、克也の退団と共にカツノリの出番は減っている。また阪神時代、成績が優れないにも関わらず1軍に残っていたことも多く、その理由も'''「親子だから」'''と克也が発言している。なお、克也とはこれまでヤクルト、阪神、楽天で一緒だったが、ヤクルト入団、阪神移籍は克也の後を追う形であったのに対し、楽天に入団した際の監督は[[田尾安志]]であり、克則の方が先である。
* 2005年の[[12球団合同トライアウト|トライアウト]]で、同年解雇された[[小倉恒]]の再獲得を克也に進言している。また[[2006年]]、先発投手陣が手薄になった影響で一場が登板過多になり、秋季の強化リーグで故障した際'''「あんたが一場を壊したんだ」'''と電話で克也に抗議したとスポーツ紙で特集された。[[2009年]]のキャンプでは、報道陣と話し込んでミーティングに遅れがちな克也をコーチが呼びに行かせるなど、克也に臆せず発言できる人物として重宝されていた。