「アルベルト・コンタドール」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Bankofdream (会話 | 投稿記録)
Bankofdream (会話 | 投稿記録)
51行目:
この勝利が評価され、[[ツール・ド・フランス2007|ツール・ド・フランス]]ではリーダーゼッケンをつける[[リーヴァイ・ライプハイマー]]に次ぐ2番手のポジションを与えられ、同年の[[ジロ・デ・イタリア]]でエースを務めた[[ヤロスラフ・ポポヴィッチ]]をアシストに従えるという贅沢な布陣で挑むことになった。
 
2つの超級山岳[[パイエル峠]](標高2001m、平均勾配7.2%、長さ16.8km)と[[プラトー・ド・ベイユ]](標高1780m、平均勾配7.9%、長さ19.7km)を登る第14ステージ山頂ゴールにおいて、初のステージ優勝を果たして総合でも2位に浮上。総合首位だった[[ミカエル・ラスムッセン]]に第16ステージで競り負けて差を広げられたものの、次ステージ前にラスムッセンが棄権した<ref>詳細は[[ミカエル・ラスムッセン#2007年ツール・ド・フランス]]及び[[ツール・ド・フランス2007#ドーピング問題]]の項目を参照のこと</ref>ことによりついに総合トップへ浮上。第17ステージ終了後に待望の[[マイヨ・ジョーヌ]]を手中にした。
 
この時点で総合2位の[[カデル・エヴァンス]]との差は1分53秒、4位のライプハイマーとも2分49秒差にとどまり、両者が得意とする個人タイムトライアルが行われる第19ステージの結果次第では逆転の可能性があったが、懸命の走りで区間5位に食い込み、ステージ優勝したライプハイマーから2分18秒、エヴァンスからも1分27秒遅れにとどめて23秒差でエヴァンスを振り切り総合1位を死守。史上まれに見る接戦を制して、24歳の若さ、そしてグランツール2回目の出場にして総合優勝を達成。新人賞の[[マイヨ・ブラン]]も同時に獲得し、[[ローラン・フィニョン]]([[ツール・ド・フランス1983|1983年]])、[[ヤン・ウルリッヒ]]([[ツール・ド・フランス1997|1997年]])に続く3人目の[[ツール・ド・フランス]]総合優勝&新人賞同時獲得者となった。