「千夜一夜物語」の版間の差分

m
lk
m (lk)
ヨーロッパでは、[[18世紀]]初頭に[[フランス]]の[[アントワーヌ・ガラン]]([[:en:Antoine Galland|Antoine Galland]])が「発見」し、シリア系写本を使って[[フランス語]]訳を行い、広く紹介した。以来、さまざまな翻訳と翻案が積み重ねられ、アラブ文芸の枠に留まらない大きな文学ジャンルと言えるほどの作品となっている。
 
日本では[[1875年]]に[[英語]]版からの翻訳が行われ、以来英語・フランス語などのさまざまなバージョンからの重訳が行われた。また、有名な説話は[[児童文学]]に翻案され親しまれている<ref>これらには「[[アラジンと魔法のランプ]]」、「[[アリババと40人の盗賊]]」のように本来『アラビアン・ナイト』に含まれない別系統の物語もある。</ref>。アラビア語(カルカッタ第二版)からの翻訳には、[[前嶋信次]]・[[池田修 (文学者)|池田修]]による『アラビアン・ナイト』がある。この他の日本語訳に、[[ジョゼフ=シャルル・マルドリュス|マルドリュス]]版(仏語)からの『完訳 千一夜物語』、[[リチャード・フランシス・バートン|バートン]]版(英語)からの『バートン版 千夜一夜物語』などがある。
 
[[2010年]][[4月21日]]、[[エジプト]]の[[弁護士]]団体「制限なき弁護士団」が「公序良俗に反する」として出版者の逮捕と同書の押収を当局に要求、作家や人権団体などの反発が起こった。同説話には性的表現も含まれるため、「反イスラム的」として標的にされたと言われている<ref>『毎日新聞』[[2010年]][[5月6日]] [http://mainichi.jp/select/world/news/20100507k0000m030040000c.html 千夜一夜物語:エジプトの弁護士団体が押収要求 反発拡大]</ref>。
「カルカッタ第二版」(アラビア語)は[[サー・ウィリアム・マクナーテン]]([[:en:William Hay Macnaghten|William Hay Macnaghten]])らにより、「マカン写本」などを底本として出版(1839年~1842年)されたものである。「カルカッタ第二版」は「[[アラジンと魔法のランプ]]」「[[アリババと40人の盗賊]]」を含まないが<ref>これらの物語やよく知られている「空飛ぶ絨毯」(ガラン版「アフマッド王子と妖精パリ・バヌー」(''L'histoire du Prince Ahmed et de la fée Pari-Banou'')、マルドリュス版「ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語」、カルカッタ第二版には無い)はアラビア語・ペルシャ語の原本は発見されていない。フランスの東洋学者エルマン・ゾータンベールによる発見(アラジンと魔法のランプ)、スコットランド出身のダンカン・B・マクドナルドによる発見(アリババと40人の盗賊)は共に否定されている(ロバート・アーウィン、 西尾哲夫訳 『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』 平凡社、1998年)。なお、[[シンドバッド]]も、アラビアンナイトとは別系統の物語群に属している(西尾哲夫/ 国立民族学博物館編著 『アラビアンナイト博物館』 東方出版、2004年)。</ref>、東洋文庫版『アラビアン・ナイト』では別巻として刊行されている。
 
マルドリュス版は「ブーラーク版」(アラビア語、1835年にエジプトで出版)などを底本として、[[ジョゼフシャルル・ヴィクトル・マルドリュス]]([[:en:J. C. Mardrus|J. C. Mardrus]])により仏訳され、出版(1899年~1904年)されたものであり、マルドリュスによる脚色を含んでいる。
 
バートン版は前述の「カルカッタ第二版」を底本として、[[リチャード・フランシス・バートン|サー・リチャード・フランシス・バートン]]により英訳され、出版(1885年~1888年)されたものであり、「ブレスラウ版」(アラビア語、欧州で印刷された唯一の原典版、[[チュニス]]から出た写本に基くとしている)「カルカッタ第一版」「ブーラーク版」や他の英訳本等で補足されており、バートンによる脚色を含んでいる。バートン版原典は詳細な訳注に特徴があり、「カルカッタ第二版」に含まれない物語(「アラジン」など)を巻末に収録している。
528

回編集