「威王 (斉)」の版間の差分

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髠 → 髡
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先代・桓公が死去し、威王がその後を継ぐと、喪中を狙って三晋(かつて[[晋 (春秋)|晋]]より分かれた[[魏 (戦国)|魏]]・[[韓]]・[[趙 (戦国)|趙]]の三国の事)や[[魯]]などに攻められ、次々と領土を奪われるが、威王はそれに対して何もしなかった。一度だけ魏の[[武侯 (魏)|武侯]]が死んだ後の継承争いに介入して魏へ攻め込んだが、すぐに引き上げた。
 
その後も領土を奪われるが、威王は[[酒宴]]に耽り、政治は全て他人に任せ切りで内部は腐敗したが、臣たちは誰も威王に諫言しなかった。しかしある時、[[淳于コン|淳于髠]]と言う者が威王にこのように謎かけをした。
 
「わが国には大鳥がいて、王庭にとどまっておりますが、この3年間鳴くことも飛ぶこともしません。この大鳥はなんでしょうか」と淳于髠は言い、これに威王は「この大鳥は、飛ばねばそれきりだがひとたび飛べば天上まで飛び上がるだろう。また、鳴かなければそれきりだが、ひとたび鳴けば人々を驚かすだろう」と返答した。
 
この謎かけの後、威王は即墨(現在の[[山東省]]即墨)の[[大夫]](地方長官)を呼び出し、「わしは、汝が即墨の大夫をしている間、側近がやかましく汝を謗るので人をやって調べさせた。田野は開かれ、人々は豊かな暮らしができ、政務は滞りなく行われ、他国からの侵略をよく防いでるとのことだった。汝は、わしの側近にへつらわず、政務をこなした証である。」と言い、即僕の大夫は、万戸の邑(領地)に封ぜられた。
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次に威王は、阿<!--現在の[[山東省]]阿城?-->の大夫を呼び出して、「わしは、汝が阿の大夫をしている間、側近がやかましく汝を賞賛するので人をやって調べさせた。田野は開かれず、人々は貧しく、趙や[[衛]]がわが国を侵しても援軍を送らなかったとのことだ。汝は、わしの側近に[[賄賂]]を贈り、名声を高めんとしたのだろう」と言い、阿の大夫は煮殺され、賄賂を受け取った側近も同様に処刑された。
 
これを境に、威王は人が変わったように政務に励むようになり、72人の大夫を呼び出して功績のあるものは褒章し、怠けていたものは処刑した。また淳于&#39648;を[[稷下]]の学士の長的存在とし、積極的に援助をして隆盛させた。
 
9年間の無為は人材を見極め、他国・あるいは悪役人たちを油断させるためのものであった。この故事から「鳴かず飛ばず」の[[故事成語]]が出来た。元の意味は将来の飛翔を期して[[雌伏]]の時を過ごしていると言う意味だが、現代では何も出来ずにいる状態を嘲る意味が強い。なお、これとほとんど同じ話が[[楚 (春秋)|楚]]の[[荘王 (楚)|荘王]]にもあり、一つの話が後に分裂してしまったのか、あるいは年代的には後になる威王が荘王の真似をしたのかは不明である。