「青木勇人 (野球)」の版間の差分

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[[2007年]]、[[梅津智弘]]の不振、新人の[[上野弘文]]の経験不足もあり、8月から[[セットアッパー]]として活躍し、防御率3.00、15ホールドを挙げた。四球の少ないピッチングで防御率は途中まで1点台と、[[横山竜士]]と共に安定していたが、終盤打ち込まれるケースが多かった。9月1日、チームメイトの[[前田智徳]]の通算2000本安打達成試合において1/3回登板ながら5年ぶりの勝利を挙げた。
 
[[2008年]]は前年から被打率が大きく悪化し11試合の登板に終わったが、[[2009年]]は再び出場機会を増やした。[[2010年]]は6試合の出場に留まり、[[10月3日]]に球団から戦力外通告を受けた。引退後は同球団の3軍投手コーチへの就任が予定されている<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201010140134.html 森笠、3軍野手コーチに 青木勇は「投手」内定] 中国新聞 2010年10月14日</ref>。
[[2010年]][[10月3日]]に球団から戦力外通告を受けた。
 
== プレースタイル ==
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* 2000年8月7日の[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦で[[代打]]・[[松坂大輔]]が2点適時打を放った後、[[代走]]として起用されている。野手を使い果たしていたためで、松坂とともに代打の候補でもあった。
* 2010年4月17日の[[中日ドラゴンズ]]戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島|マツダ]])でプロ初打席。登録上は右打ちであったが、この時は左打席に立った(結果はセンターフライ)。
 
== 参考文献 ==
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== 関連項目 ==