「ライヒスマルク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Xqbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 変更: ar:رايش مارك
模様砂漠2 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
[[File:10Reichspfennig1.JPG|thumb|250px|right|10ライヒスマルク貨幣(1937年)]]
'''ライヒスマルク''' (Reichsmark, RM) は、[[1924年]]から[[1948年]][[6月20日]]まで使用されたドイツの公式[[通貨]]。ライヒスマルクは[[西ドイツ]]で[[ドイツマルク]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]では[[東ドイツマルク]] ''Mark der DDR'' (あるいはオストマルク ''Ostmark'')に切り替えられた。
 
ライヒスマルクは1924年に[[パピエルマルク]]の代替として導入された。その導入は[[1923年]]にピークに達した超[[インフレーション|インフレ]]に対処するために必要、[[パピエルマルク]]の代替して1924年に導入された。この際のライヒスマルクとパピエルマルクの交換レートは、1 : 1,000,000,000,000であった。それは4.2ライヒスマルク:1ドルのレートで[[ドル]]に連動した。経済を均衡化し安定させるため、パピエルマルクは直接ライヒスマルクと両替されず、[[レンテンマルク]](ドイツ国内の土地を担保とし、[[レンテン銀行 ''Deutsche ]]([[:de:Rentenbank'' |Rentenbank]])によって保証された臨時通貨)と両替された。
 
「マルク」は古ドイツ語で「通貨」の意でもあり、[[12世紀]]以来使用されている。マルクは[[1871年]]の[[ドイツ帝国]]統一後にドイツの主要な通貨となった。しかしながら、他の多くの現地通貨が[[20世紀]]前半までドイツで共存した。
 
[[第二次世界大戦]]後のアメリカ・イギリス・フランス・ソビエト連邦の4か国の分割占領下でも流通を続けたが、[[1948年]]6月からソ連占領地域と米英仏占領地域でそれぞれオストマルクとドイツマルクへの通貨改革が実施されて消滅した。この通貨改革が、[[ベルリン封鎖]]の直接の引き金となる。
{{commonscat|Reichsmark}}
 
{{DEFAULTSORT:らいひすまるく}}
[[Category:マルク]]
[[Category:ヴァツ帝国マル共和政]]
[[Category:ナチス・ドイツ]]