「ウィルマー・アリソン」の版間の差分

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アリソンは[[1927年]]に[[テキサス州立大学サンマルコス校|テキサス州立大学]]の選手として、全米大学対抗テニス大会に優勝し、この年から[[1927年全米テニス選手権|全米選手権]]に出場し始めた。[[1928年]]からデビスカップのアメリカ代表選手に選ばれ、[[1929年]]からデビスカップやグランドスラム大会で[[ジョン・バン・リン]]とダブルスを組み始める。アリソンとバン・リンは、[[1929年ウィンブルドン選手権|1929年]]と[[1930年ウィンブルドン選手権|1930年]]のウィンブルドン男子ダブルスで2連覇を達成した。[[1930年ウィンブルドン選手権|1930年ウィンブルドン]]で、アリソンは男子シングルス・男子ダブルスの2部門で決勝に進出したが、シングルス決勝では同じアメリカの[[ビル・チルデン]]に 3-6, 7-9, 4-6 で敗れて準優勝になった。[[1930年全米テニス選手権|1930年全米選手権]]で、アリソンはエディット・クロスと組んだ混合ダブルスで初優勝したが、バン・リンとの男子ダブルスでは準優勝で止まった。アリソンとバン・リンのコンビネーションは、アリソンが左側のコートを受け持ち、ネット・プレーの得意なバン・リンが右側から返球するスタイルだったという。このペアはデ杯米国代表チームでも不可欠な戦力になり、当時の男子テニス界で優れたダブルス・チームの代名詞のような存在になっていった。
 
[[1933年]]、アリソンはキャリアで唯一の[[1933年全豪テニオートラリア選手権 (テニス)|全豪選手権]]に出場した。彼は準々決勝で[[エイドリアン・クイスト]]に 1-6, 3-6, 9-7, 6-2, 6-2 の逆転勝ちを収めた後、準決勝で[[ジャック・クロフォード]]に 3-6, 6-3, 6-3, 0-6, 3-6 で敗れた。[[1934年全米テニス選手権|1934年]]と[[1935年全米テニス選手権|1935年]]の2年連続で、アリソンは[[全米オープン (テニス)|全米選手権]]の男子シングルス決勝に進出する。[[1934年全米テニス選手権|1934年]]の決勝戦では、[[フレッド・ペリー]]がアリソンのシングルス初優勝を阻んだ。ペリーに第1・第2セットを連取された後、アリソンは第3・第4セットを連取して2セット・オールに追いついたが、結局 4-6, 3-6, 6-3, 6-1, 6-8 で敗れ、ここでは初優勝を逃した。[[1935年]]の[[1935年全米テニス選手権|全米選手権]]で、彼はついに宿願のシングルス初優勝を果たす。準決勝でペリーに 7-5, 6-3, 6-3 のストレート勝ちを収め、前年度の決勝戦の雪辱を果たすと、2年連続の決勝戦では[[シドニー・ウッド]]を 6-2, 6-2, 6-3 で圧倒した。この大会では、ジョン・バン・リンとのダブルスでも4年ぶり2度目の優勝を果たし、単複2冠を獲得する。[[1936年]]の[[1936年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]準々決勝で[[ヘンリー・オースチン]]に敗れた試合と、バン・リンと組んだ[[1936年全米テニス選手権|全米選手権]]男子ダブルス決勝で[[ドン・バッジ]]&[[ジーン・マコ]]組に敗れた準優勝を最後に、ウィルマー・アリソンはテニス界から引退した。
 
全米選手権の男子ダブルスで、ウィルマー・アリソンとジョン・バン・リンは[[1930年全米テニス選手権|1930年]]-[[1932年全米テニス選手権|1932年]]・[[1934年全米テニス選手権|1934年]]-[[1936年全米テニス選手権|1936年]]の6度決勝に進出し、そのうち[[1931年全米テニス選手権|1931年]]と[[1935年全米テニス選手権|1935年]]の2度優勝した。かつて[[フレッド・アレクサンダー]]と[[ハロルド・ハケット]]の組が[[1905年全米テニス選手権|1905年]]から[[1911年全米テニス選手権|1911年]]までの「7年連続」で全米男子ダブルス決勝に進んだことがあり、アリソンとバン・リンは同一ペアとして大会歴代2位記録を残した。アリソンの[[1935年全米テニス選手権|1935年全米選手権]]男子シングルス初優勝に先立ち、2人は久々の[[1935年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]男子ダブルス決勝に進んだが(アリソンは5年ぶり3度目、バン・リンは4年ぶり4度目)当時進境著しかった[[オーストラリア]]ペアの[[ジャック・クロフォード]]&[[エイドリアン・クイスト]]組に 3-6, 7-5, 2-6, 7-5, 5-7 で敗れ、ウィンブルドンでのさらなるチャンスを逃した。<!--この試合について、パートナーのバン・リンは「第5セットで僕たちにマッチ・ポイントがあった。彼らがまぐれ当たりのロブショットを上げて、僕の簡単なボールだったのに…あの場面がまずかった」と、後日にもこの逆転負けを悔やんでいたという。-->
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