「バージニア・ウェード」の版間の差分

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ウェードの競技経歴は[[1962年]]から始まり、彼女はそれから6年後の[[1968年]]に23歳で「プロテニス選手」に転向した。1968年は、テニスの歴史の中でも最大の転換期に位置する。この年に[[グランドスラム (テニス)|テニス4大大会]]の「オープン化措置」が実施され、「[[1968年全仏オープンテニス|全仏オープン]]」からプロ選手たちの4大大会出場が解禁された。それ以前は、4大大会の出場資格はアマチュア選手のみに限定されていた。成功を収めた多くの一流選手たちがプロに転向したため、世界一の威信を誇るウィンブルドン選手権でさえも、世界最強レベルの選手の姿が消えるジレンマが長期間続いていた。そのため、オープン化措置によってプロ選手にも4大大会出場の道を開いたのである。その年に、ウェードはアマチュア選手として故郷の[[ボーンマス]]で開かれた「全英ハードコート選手権」で優勝する。5ヶ月後、ウェードはプロ選手として「[[1968年全米オープンテニス|全米オープン]]」で4大大会初優勝を飾る。決勝で[[ビリー・ジーン・キング]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])を 6-4, 6-2 で破り、「オープン化時代大会」としての同選手権最初の優勝者になった。(注:[[1968年全米オープンテニス|1968年]]と[[1969年全米オープンテニス|1969年]]の2年間は、暫定措置として全米選手権大会が2度開催された。9月に行われた「オープン化時代大会」(英語:Open Era Grand Slam)の優勝者が大会公認の優勝者として記載されるため、1968年はウェードが正式な優勝者として扱われる。詳しくは[[全米オープン女子シングルス優勝者一覧]]も参照のこと。)
 
[[1972年]]の[[1972年全豪オープンテニス|全豪オープン]]で、ウェードは4年ぶりとなる4大大会2勝目を挙げ、地元[[オーストラリア]]の新進選手だった[[イボンヌ・グーラゴング]]を 6-4, 6-4 のストレートで下した。
 
[[1973年]]、バージニア・ウェードは女子ダブルスで[[マーガレット・スミス・コート|マーガレット・コート]]とペアを組み、[[1973年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]を除く4大大会女子ダブルス年間3冠を獲得した。ウェードとコートは、[[1975年全米オープンテニス|1975年全米オープン]]で2年ぶり2度目の女子ダブルスがある。(コート夫人はこの大会を最後に競技生活から引退した。)すべてコート夫人との組み合わせで、ウェードはグランドスラム大会の女子ダブルスに4勝を挙げた。
| '''[[1968年]]''' || '''[[1968年全米オープンテニス|全米オープン]]''' || {{flagicon|USA}} [[ビリー・ジーン・キング]] || 6-4, 6-2
|-style="background: #CFF;"
| [[1972年]] || [[1972年全豪オープンテニス|全豪オープン]] || {{flagicon|AUS}} [[イボンヌ・グーラゴング]] || 6-4, 6-4
|-style="background: #CF9;"
| [[1977年]] || [[1977年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]] || {{flagicon|NED}} [[ベティ・ストーブ]] || 4-6, 6-3, 6-1
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