「パティ・フェンディック」の版間の差分

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フェンディックはキャリアを通じていろいろなダブルス・パートナーとペアを組んできたが、最も好成績の多かったパートナーは[[メレディス・マグラス]]であった。マグラスとは[[1990年]]に初めて組んだが、フェンディックのキャリアの後期には彼女と組んだ優勝が最も多く、[[1994年]]に年間5勝を記録している。[[1994年全豪オープン|1994年全豪オープン]]では、フェンディックはマグラスと組んで3年ぶり4度目の女子ダブルス決勝に進んだが、[[ジジ・フェルナンデス]]&[[ナターシャ・ズベレワ]]組に 3-6, 6-4, 4-6 で敗れ、2度目の全豪女子ダブルス優勝を逃している。マグラスとのダブルスで好成績が多かった[[1994年]]、10月第2週の[[チューリッヒ・オープン]]で、フェンディックは[[マルチナ・ヒンギス]]のプロ・デビュー戦の相手になった。当時14歳になったばかりのヒンギスは、地元の大会でデビュー戦に勝利を収め、ここから急成長を始める。
 
[[1995年]]8月の[[カナダ・マスターズ|カナダ・オープン]]で2回戦敗退に終わった後、フェンディックは両膝の手術を受けたが、この故障から立ち直れなかった。最終的に、カナダ・オープンが彼女の現役最後の試合となった。現役最後の年、彼女は[[1995年全豪オープンテニス|全豪オープン]]のシングルス2回戦で[[伊達公子]]に敗れたことがある。ダブルスでは[[1995年全仏オープンテニス|全仏オープン]]準決勝進出があった。[[1987年]]から[[1995年]]までの9年間、彼女はツアーのシングルスで、少なくとも1つの大会で準々決勝に勝ち残る連続記録を残した。選手引退後は[[全米テニス協会]](USTA)の評議員になり、[[シアトル]]にある[[ワシントン大学 (UW)|ワシントン大学]]のコーチを務めている。
== 外部リンク ==
* {{WTA|id=2343|name=パティ・フェンディック}}