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当時の4大大会は出場資格がアマチュア選手に限定されており、プロ選手たちには別のトーナメント群があった。プロ選手たちは戦いの場を「全仏プロテニス選手権」(French Pro)/「全米プロテニス選手権」(US Pro)/「ウェンブリー・ワールド・プロテニス選手権」(Wembley World Pro)に移していく。[[1968年]]にテニス界が「オープン化」という措置を取り、プロテニス選手の4大大会出場を解禁するまで、現在とは違うシステムのもとで競技が行われていた。ホードはプロ選手に転向後も、様々な往年の名選手たちを相手に果敢な挑戦を続けたが、背中の故障のため[[1960年代]]にプロテニスツアーから退いた。[[1968年]]に「オープン化」措置が実施された後、ホードは[[1968年]]・[[1970年]]・[[1972年]]の「[[全仏オープン]]」とウィンブルドン選手権に出場した。彼の断続的な再挑戦の成績は、[[1970年全仏オープンテニス|1970年全仏オープン]]の4回戦進出が最高成績であった。
ルー・ホードは[[1954年
== 4大大会優勝 ==
* [[全豪オープン|全豪選手権]] 男子シングルス:1勝(1956年)/男子ダブルス:3勝(1953年、1956年、1957年)
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