「マーガレット・スミス・コート」の版間の差分

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テニス競技の過渡期に活動した人であることから、コート夫人の優勝記録は種々に分類される。アマチュア選手として獲得したもの、「オープン化時代」以後に獲得したシングルス・タイトル92、プロ選手として獲得したシングルス・タイトル79などである。1歳年下のライバル、[[ビリー・ジーン・キング]]夫人([[アメリカ合衆国|アメリカ]])と並んで、コート夫人は長いテニス経歴を通じて絶大な強さを誇ってきた。
 
[[2000年]]の[[2000年全豪オープンテニス|全豪オープン]]開幕に先立ち、[[メルボルン]]市のナショナル・テニスセンターにて、「オープン化時代」(Open Era)の第1回大会として行われた[[1969年]]「[[1969年全豪オープン|全豪オープン]]」の男女シングルス優勝者の功績を讃える式典が行われた。センター・コートには男子シングルス優勝者[[ロッド・レーバー]]を記念して「[[ロッド・レーバー・アリーナ]]」の名前を与え、隣の1番コートにはコート夫人にちなんだ「マーガレット・コート・アリーナ」の名前がつけられた。
 
[[1999年]]8月に現役を引退した[[シュテフィ・グラフ]]の4大大会優勝記録が、通算「22勝」(全豪4、全仏6、ウィンブルドン7、全米5)で終わったため、グラフが“あと2”届かなかったコート夫人の通算24勝は、今なおテニス4大大会の最多優勝記録としてそびえ立っている。(グラフが最後の4大大会優勝を飾った[[1999年]]の[[1999年全仏オープンテニス|全仏オープン]]では、コート夫人が彼女に優勝カップを贈呈した。)