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'''パティ・フェンディック'''('''Patty Fendick''', [[1965年]][[3月31日]] - )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]][[サクラメント (カリフォルニア州)|サクラメント]]出身の元女子プロ[[テニス]]選手。キャリアを通じてダブルスに優れ、[[1991年]]の[[全豪オープン]]女子ダブルスで[[メアリー・ジョー・フェルナンデス]]とペアを組んで優勝した。シングルスでは[[1988年]]の[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]で優勝したことがある。[[WTA]]ツアーでシングルス3勝、ダブルスで[[1991年全豪オープン|1991年全豪オープン]]を含む25勝を挙げた。
 
フェンディックは[[1982年]]から選手経歴を始め、[[1983年]]の[[1983年全仏オープンテニス|全仏オープン]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]にデビューしたが、[[スタンフォード大学]]で[[心理学]]の学位を取得した後、[[1987年]]からプロテニス選手になった。[[1988年]]に女子ツアーでシングルス2勝、ダブルス6勝を挙げる。シングルス初優勝は1月末の[[ニュージーランド]]・[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]大会で、4月の「[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]」では[[ステファニー・レイヒ]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])を破って優勝した。最初期のフェンディックは、ダブルスで[[ジル・ヘザリントン]]([[カナダ]])とペアを組むことが多かった。フェンディックとヘザリントンの組は、[[1988年全米オープンテニス|1988年全米オープン]]と[[1989年全豪オープンテニス|1989年全豪オープン]]で女子ダブルス準優勝がある。全豪オープン終了後、オークランド大会でシングルス2連覇を達成したが、これを最後にフェンディックは女子ツアーでシングルス優勝がなくなった。
 
[[1990年]]の[[1990年全豪オープンテニス|全豪オープン]]で、フェンディックは女子シングルスで自己最高のベスト8に入り、女子ダブルス2年連続準優勝を記録した。シングルス準々決勝では[[シュテフィ・グラフ]]に 3-6, 5-7 で敗れ、[[メアリー・ジョー・フェルナンデス]]と組んで進出した女子ダブルス決勝でも、[[ヘレナ・スコバ]]&[[ヤナ・ノボトナ]]組に 6-7, 6-7 で敗れた。[[1991年全豪オープン|1991年全豪オープン]]女子ダブルス決勝で、フェンディックとM・J・フェルナンデスは[[ジジ・フェルナンデス]]とノボトナの組を 7-6, 6-1 で破った。こうしてフェンディックは、3年連続進出の全豪オープン女子ダブルスでついに初優勝を達成した。
 
フェンディックはキャリアを通じていろいろなダブルス・パートナーとペアを組んできたが、最も好成績の多かったパートナーは[[メレディス・マグラス]]であった。マグラスとは[[1990年]]に初めて組んだが、フェンディックのキャリアの後期には彼女と組んだ優勝が最も多く、[[1994年]]に年間5勝を記録している。[[1994年全豪オープン|1994年全豪オープン]]では、フェンディックはマグラスと組んで3年ぶり4度目の女子ダブルス決勝に進んだが、[[ジジ・フェルナンデス]]&[[ナターシャ・ズベレワ]]組に 3-6, 6-4, 4-6 で敗れ、2度目の全豪女子ダブルス優勝を逃している。マグラスとのダブルスで好成績が多かった[[1994年]]、10月第2週の[[チューリッヒ・オープン]]で、フェンディックは[[マルチナ・ヒンギス]]のプロ・デビュー戦の相手になった。当時14歳になったばかりのヒンギスは、地元の大会でデビュー戦に勝利を収め、ここから急成長を始める。