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ベダノワは[[1999年]]から女子テニス国別対抗戦・[[フェドカップ]]の[[チェコ]]代表選手に選ばれ、[[2000年]]に17歳でプロ入りした。プロ転向の年から目覚ましい躍進を見せ、[[シドニーオリンピックにおけるテニス競技|シドニー五輪]]で[[オリンピック]]のチェコ代表選手に選ばれる。初出場のオリンピックで、ベダノワは女子シングルス2回戦に進み、[[フランス]]代表の[[ジュリー・アラール=デキュジス]]に敗れた。オリンピック終了後、ベダノワは「[[トヨタ・プリンセス・カップ]]」で初来日し、予選3試合を勝ち抜いた後、本戦準決勝まで進出した。本戦2回戦で[[アメリ・モレスモ]]、準々決勝で[[エミー・フレージャー]]を破って勝ち進んだベダノワは、準決勝で[[セリーナ・ウィリアムズ]]に敗退する。1ヶ月後の10月29日、ベダノワは[[スロバキア]]・[[ブラチスラヴァ]]大会の決勝で[[ミリアム・オレマンス]]([[オランダ]])を 6-1, 5-7, 6-3 で破り、ツアー初優勝を達成した。この年の顕著な活躍を評価されて、ベダノワは[[2000年]]度の[[女子テニス協会]]「最優秀新人賞」を受賞した。
[[2001年]]もベダノワの快進撃は続き、[[2001年全豪オープン
ところが、[[2003年]]に入るとベダノワのテニス成績は急降下し始め、[[アキレス腱]]故障などを抱えるようになった。[[2003年全米オープンテニス|全米オープン]]1回戦で[[マリア・エレナ・カメリン]]([[イタリア]])に敗れた試合が、彼女の最後の4大大会本戦出場になる。[[2004年]]と[[2005年]]は[[WTA]]ツアーの下部組織の大会を回り、[[日本]]の[[岐阜市|岐阜]]や[[福岡市|福岡]]の大会に出場したこともあった。[[2005年]]シーズンの終わりに、ダヤ・ベダノワはわずか22歳の若さで現役引退を表明した。
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