「郡上八幡テレビ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
6行目:
地上波の番組を再配信する「共同受信施設」は[[1955年]]に[[群馬県]][[伊香保温泉]]で第1号が設置されたが、いわゆる独自の番組を編成する今日のケーブルテレビの概念を取り入れた局はこれまで皆無だった。[[1962年]]に岐阜県八幡町で開局した共同受信施設を利用して、当時の中央公民館長・菅野一郎が中心となって、自主制作番組の放送を提案。[[中日新聞社]]にも協力を要請し、共同受信施設開局から1年が経過した[[1963年]][[9月]]に第1回の自主放送が行われた。
 
自主放送では八幡町を含む郡上郡周辺地域におけるお祭りやスポーツ大会、文化イベントの中継を行ったほか、[[中日新聞]]提供による[[ニュース番組]]、趣味講座番組、学校や人物の紹介番組など地域密着型の番組編成を展開した。しかし[[1965年]]を境に、資金難や八幡町のテレビ中継所開局([[1964年]])の影響もあって加入者が激減。[[1966年]][[6月8日]]をもって共同受信組合が廃止され、自主放送も打ち切りとなった。
 
この自主放送の経験がその後の日本のケーブルテレビ文化の基礎となったといってもいい。