「ミハイル・ロモノーソフ」の版間の差分
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ロモノーソフは[[1765年]]、サンクトペテルブルクで死んだ。男子は残さなかった。ロモノーソフが生きている間、業績がロシア国外に伝わることはほとんどなく、ヨーロッパで彼の業績が知られるのは彼の死後かなり経ってからである。
彼の孫娘ソフィア・コンスタンティノーヴァ(1769-1844)はロシアの英雄軍人で政治家のニコライ・ラエフスキー{{enlink|Nikolay Raevsky}}と結婚している。後年、彼にちなんで月の[[クレーター]]の一つがロモノーソフ{{enlink|Lomonosov (lunar crater)}}と名づけられている。火星のクレーターにも付けられている{{enlink|Lomonosov (Martian crater)}}。[[1948年]]、大西洋の[[海嶺]]の一つが[[ロモノーソフ海嶺]]{{enlink|Lomonosov Ridge}}と名づけられている。{{-}}
== 関連項目 ==
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