「キンバリー・ポー」の版間の差分

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彼女は[[2000年]]6月中旬の[[イギリス]]・[[バーミンガム]]大会(ウィンブルドン選手権の前哨戦の1つ)を最後に、女子ツアー大会のシングルスから撤退し、以後の活動をダブルスのみに絞った。[[2001年]]から、彼女はフランスのベテラン選手[[ナタリー・トージア]]と組んで大半のトーナメントに出場し、[[2001年全仏オープンテニス|全仏オープン]]ベスト8・[[2001年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]ベスト4を経て、[[2001年全米オープンテニス|全米オープン]]で女子ダブルス決勝に進出した。ポー・メッセーリにとっては、[[1999年全米オープンテニス|1999年]]の混合ダブルス以来2度目の全米オープン決勝戦だったが、2人は第1シードの[[リサ・レイモンド]]&[[レネ・スタブス]]組に 2-6, 7-5, 5-7 で敗れて優勝を逃した。全米オープン終了後、ポー・メッセーリは30歳でダブルス自己最高ランキング「6位」に入った。
 
現役最後の年となった[[2002年]]、ポー・メッセーリは[[2002年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]と[[2002年全米オープンテニス|全米オープン]]で女子ダブルスのベスト8に入り、ウィンブルドンでは[[ドナルド・ジョンソン]]との混合ダブルスで2年ぶりの準決勝に進んだ。最後は準決勝で[[マヘシュ・ブパシ]]&[[エレナ・リホフツェワ]]組に 4-6, 6-1, 3-6 で敗れ、ポーとジョンソンは2年ぶりの決勝進出を逃した。女子ダブルスのパートナーは、ウィンブルドンはトージアであったが、全米オープンは[[白血病]]を克服した[[コリーナ・モラリュー]]と組んだ。ポー・メッセーリとモラリューは、9月末の「[[トヨタ・プリンセス・カップ]]」にも出場したが、このトーナメントは[[2002年]]の第13回大会を最後に廃止された。10月下旬の「[[チューリッヒ・オープン]]」女子ダブルスで、ポー・メッセーリと[[ナターシャ・ズベレワ]]は、準々決勝で[[エレナ・ドキッチ]]&[[ナディア・ペトロワ]]組に 4-6, 3-6 で敗れた。この試合を最後に、キンバリー・ポー・メッセーリとナターシャ・ズベレワ、2人の選手が同時に女子プロテニス界を引退したのである。
== 外部リンク ==
* {{WTA|id=6258|name=キンバリー・ポー}}