「板垣正」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
30行目:
[[成城中学校・高等学校|成城中学]]を経て、1945年に[[陸軍航空士官学校]](第58期)卒業。[[シベリア抑留]]を体験。1950年の帰国後に[[日本共産党]]に入党するも54年に脱党<ref>共同通信社社会部編「沈黙のファイル―「瀬島龍三」とは何だったのか」</ref>。なお、入党は父・征四郎が処刑された事による「民主運動」参加のため。1955年に[[中央大学]]法学部(夜間部)卒。
 
1980年、[[自由民主党 (日本)|自民党]]から[[参議院議員]]選挙に出馬し当選。3期務めた。この間、衆議院[[内閣委員会|内閣委員長]]、同対外経済協力に関する小委員長、沖縄開発[[政務次官]]などを歴任した。[[自由民主党 (日本)|自民党]]保守派議連である「明るい日本」国会議員連盟事務局長。また、[[日本遺族会]]顧問としても手腕を発揮し、首相の[[靖國神社]]公式参拝を強く要請した。
 
政界引退後は[[保守]]派論客として活動しており、[[米下院121号決議]]に対しても反対の意を表している。2007年7月13日にアメリカ大使館に手渡された抗議書にも賛同者として名を連ねている<ref>[http://www.ch-sakura.jp/files/top/ianfu-sando.pdf 抗議書への賛同者一覧]</ref>。映画『[[南京の真実]]』の賛同者。[[田中正明]]の親友として知られており田中の後任として「[[興亜観音]]を守る会」の第二代会長を務めた
 
== 主な著作 ==