「円明園十二生肖獣首銅像」の版間の差分

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[[File:Yuanmingyuan haiyan.jpg|thumb|300px|円明園の海晏堂西面(銅版画): 中央の噴水池の左に6体、右に6体並んでいるのが獣首人身像。海晏堂西面には他に、入り口扉の両脇の[[ライオン]]像の口から水、扉と向かい合う階段最上部の[[イルカ]]像から水、階段の手すりの54個の水盤から水が出る。それらは全てつながっており、水柱を上げながら下へ下へと滝になって流れる。]]
'''円明園十二生肖獣首銅像'''(えんめいえんじゅうにせいしょうじゅうしゅどうぞう、[[繁体字]]: {{lang|zh-hant|圓明園十二生肖獸首銅像}}, [[简体字]]: {{lang|zh-hans|圆明园十二生肖兽首铜像}})は、[[清朝]]が建築した[[円明園]]の水力時計([[中国語]]: 水力鐘)の銅像。頭は獣、体は人間の銅像である。'''円明園十二生肖(十二支)銅像'''、'''円明園十二生肖獣首像'''、'''円明園ブロンズ像'''、'''十二支動物像'''、'''十二支像'''、等の名称で知られる。

==概要==
[[円明園]]の西洋式建築[[西洋楼]](円明園で唯一の残存建築物)の一角をなす[[海晏堂]]の、西の方向にある噴水池に設置されていた。12の動物とは、鼠(ねずみ)、牛(うし)、虎(とら)、兔(うさぎ)、龍(りゅう)、蛇(へび)、馬(うま)、羊(ひつじ)、猿(さる)、鶏(にわとり)、犬(いぬ)、豚(ぶた)の[[十二支]]である。鼠、虎、龍、馬、猿、犬が南側に、牛、兔、蛇、羊、鶏、豚が北側に、八の字を描いて並んでいる。各動物(体は人間)が2時間ずつ時間を担当し、担当の時間になると池に向かって口から水を噴射した。昼の12時には12体の動物人間が全員一斉に噴射した。牛は塵払い、兔は扇、龍は珠(たま)、犬は銃、豚は弓等、各々道具を持ち、各々所作がある。蛇は何も持たず、腕組みである。21世紀初頭の中国で、十二獣首人身銅像は、本物の円明園の銅像の他、等身大[[レプリカ]]やミニチュアのレプリカ等が展示されるなどしている<ref>[http://www.china.co.jp/news/050415-01.html 北京円明園回帰国宝展] aiai Chinaニュース 2005年4月16日 ※展示物の説明で、猪(豚)が2000年の競売品に含まれる文になっているが、入力ミスもしくは誤訳。</ref><ref>[http://j.peopledaily.com.cn/95952/6640845.html 「円明園十二生肖獣首」の全身像が初めて公開] 人民網日本語版 2009年4月20日</ref><ref>[http://www.recordchina.co.jp/group/g18513.html 歴史的な「十二支像」が復活―北京市] レコードチャイナ 2008年5月5日</ref><ref>[http://jp.jnocnews.jp/news/show.aspx?id=18851 クルミの殻に入った「円明園の十二生肖獣首」 - 北京。] 日本新華僑報 2009年2月26日</ref>。
 
==流失と競売==
===設置から流失の経緯===
水面積が全園の2分の1以上を占める「水景園」である[[円明園]]に、12体の獣首人身の銅像は設置された。銅像は[[ジュゼッペ・カスティリオーネ]]がデザインし、[[ミシェル・ブノワ]]([[:en:Michel Benoist]])が設計監修をした。実際の製作は清朝の宮廷匠師による。十二獣首人身の水力時計は、海晏堂にある様々な水仕掛けの中で、最も苦心した作品である。
 
一説によれば、やがて[[咸豊帝]]の母親大后は、銅像が「怪異」である、と嫌がって、銅像を倉庫に片付けた。[[1860年]]、[[アロー戦争]]のとき、[[フランス]]([[フランス第二帝政|第二帝政]])軍が円明園の略奪に注力し<ref>略奪品により、フランス軍は巨万の富を得た。略奪の一部はイギリス軍の[[士官]]による(軍が設けた分捕委員会に納付)。</ref>、[[イギリス]]([[グレートブリテンおよびアイルランド連合王国]])軍が[[清朝]]による捕虜殺害への報復として円明園を焼き払い、その混乱の中、倉庫に保管してあった獣首人身銅像は流失、離散したとされる。しかしこの時イギリス・フランス軍にこれらの像が略奪されたということは、後述の通り、後の国内での写真がある以上、実際にはありえない
 
一方[[中国文学者]]の[[中野美代子]]によれば、上記の咸豊帝の母(1840年没)による移動の事実はなく、また円明園の略奪後(1860年)の情景を報じた新聞の挿絵でもこれらの像は残っており、略奪は免れたと推定されている<ref name="nakano">中野美代子「愛国心オークション」参照。</ref>。
 
その後、[[西太后]]が円明園の復興をめざしたが、ものの1874年ごろ中止されたがこの頃に十二支像は移設されたと考えられる。1930年前後に円明園を調査したキャロル・ブラウン・マローンは「北京の冬の離宮」<ref>北京南郊の南苑または西苑の南海のいずれかを指すと思われる。</ref>にある12のブロンズ像の写真を撮影している。したがって像の頭部はその後に何者か国内の人物によって切断され持ち出され、骨董市などで売りさばかれたものと推定される<ref name="nakano"/>。
 
===牛、虎、馬、猿、豚===