「アルノルト・シェーンベルク」の版間の差分

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ただ、時代は無調の音楽に対する準備が出来ていたとは言えなかった。ストラヴィンスキーの『[[春の祭典]]』で大騒ぎとなるような時代で、無調の音楽は一部のサークルの中だけのことであった。[[ウィーン]]の私的演奏会で聴衆が怒り出して[[パニック]]になったり帰る人が続出したのは当然であった。しかし、指揮者の[[ヘルマン・シェルヘン|シェルヘン]]などが積極的にこれらの音楽を後押しし、演奏してまわったことで、シェーンベルクなどの音楽が受け入れられるようになっていく。
 
同じ頃、弟子の[[アルバン・ベルク]]は『クラリネットとピアノのための5つの小品』Op.5や『[[管弦楽のための3つの小品 (ベルク)|管弦楽のための3つの小品]]』Op.6などで、無調(あるいは拡大された半音階主義)の作品を発表し、[[アントン・ヴェーベルン]]も師シェーンベルクにならって『6つの小品』Op.6を書いているが、シェーンベルクはバランス感覚に優れ、ベルクはより劇的で標題性を持ち、ヴェーベルンは官能的なまでの音色の豊穣さに特徴があり、明確な個性の違いがあるのは興味深い。
 
=== 12音音楽の確立 ===
1910年代後半、シェーンベルクは未完に終わった大作『[[ヤコブの梯子 (シェーンベルク)|ヤコブの梯子]]』に挑む。同じ頃、弟子のベルクは歌劇『[[ヴォツェック]]』Op.7を完成する。シェーンベルクらと始めた無調主義による傑作オペラの登場である。無調主義が次第に市民権を持ちはじめると共に、無調という方法に、調性に代わる方法論の確立の必要性を考えるようになっていった。それが[[十二音技法|12音音楽]]であった。
 
12の音を1つずつ使って並べた音列を、半音ずつ変えていって12個の基本音列を得る。次にその反行形(音程関係を上下逆にしたもの)を作り同様に12個の音列を得る。更にそれぞれを逆から読んだ逆行を作り、基本音列の逆行形から12個の音列を、そして反行形の逆行形から12個の音列を得ることで計48個の音列を作り、それを基にメロディーや伴奏を作るのが12音音楽である。一つの音楽に使われる基本となる音列は一つであり、別の音列が混ざることは原則としてない。したがって、この12音音楽は基本となる音列が、調性に代わるものであり、またテーマとなる。そして音列で作っている限り、音楽としての統一性を自然と得られる仕組みとなっている。