「パナイ号事件」の版間の差分

m
m (ロボットによる 変更: en:USS Panay incident)
m (→‎外交問題: 西暦化)
日本海軍機が機銃掃射を加えるため低空飛行したので、米国国旗が見えないはずはないというアメリカ側の主張に対し、当初、日本海軍は、「飛行機による爆撃は誤爆であって故意ではない。機銃掃射は絶対やっていない。一発も撃っていない。弾薬点検もしっかりやった」と、機銃掃射を行ったことを認めていなかったが、23日のグルー大使への事情説明で、「後日の調査により、わが一機が1隻の船を短時間機銃射撃による攻撃をした。この他に機銃射撃による攻撃をした飛行機はない」ことを[[高田利種]]中佐が説明し、翌24日の海軍部は「飛行機による機銃射撃は第2回目爆撃機中の一機より短時間行いたるのみである」と公表した。しかし、高田中佐は「海軍機は機銃掃射は全くしていないと報告した」と戦後に証言している<ref>『昭和海軍秘史』中村菊男編、番町書房、1969年 </ref>。
 
ケンプ・トリー氏<ref>当時はパネー号の乗組ではなく、米海軍アジア艦隊内揚子江砲艦艦隊所属。[[昭和161941年]]12月には[[ラニカイ号]]の艦長に任命された。</ref>は「最大の軍艦旗は旗袋の中に収められた状態で、ガフにかかっていた」と述べている<ref>『長江パトロール』ケンプ・トリー著、長野洋子訳、出版協同社 1988年</ref>。また、事故発生の直前のパナイ号の位置や行動の細部が、上海の米艦隊司令部ではなく、ワシントン国務省所掌の処に報告されていた。
 
13日午前、現地上海の[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]]では[[長谷川清]]司令長官が米アジア艦隊旗艦の巡洋艦「[[オーガスタ (重巡洋艦)|オーガスタ]]」に[[杉山六蔵]]参謀長を派遣して、遺憾の意を表するとともに、「日本軍飛行機は300米の高度まで下降して国籍を確かめんとしたが遂に国旗を識別し得なかった結果、日本軍飛行機は相次いで攻撃を行い米国艦船1隻に損害を与え、砲艦パナイ号ならびにその他米国商船2隻を沈没せしめるに至った・・・」と事件内容を通告した。
 
賠償については翌[[1938年]]4月22日に、日本政府は221万4007ドル36セントを支払った(賠償額には懲罰的な意味は盛り込まず、実際の損害及び死傷事件により生じる損害額が算出された)。なお明細書には、その後の調査の結果判明したというスタンダード石油会社所属の小型船4隻の損害額も計上されており、パナイ号事件の損害は、沈没艦船6隻(パナイ号、スタンダード会社船5隻)、破壊船舶2隻(スタンダード会社船2隻)、死者3名(パナイ号乗組員2名および他1名)、負傷者74名、その他(郵務省、国務省、個人財産被害)であった。
 
 
 
== 注釈 ==