「シトロエン・ジャポン」の版間の差分

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|特記事項 = 表記は新規法人のデータ。正規販売店は47店舗。データは2005年[[10月1日]]付け。
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'''シトロエン・ジャポン'''(Citroën japon)は、かつての存在した[[シトロエン]]の日本法人である。[[2008年]]([[平成]]20年)[[4月1日]]に[[プジョー・ジャポン]]と合併し、[[プジョー・シトロエン・ジャポン]]となった。
 
== 沿革 ==
=== 旧会社 ===
*[[2001年]]([[平成]]13年)[[11月]]、フランス・オートモビル・[[シトロエン]]が100%出資による日本法人「シトロエン・ジャポン株式会社」を設立。[[新西武自動車販売]]から輸入権を移管。
*かつては[[2002年西武自動車販売]](平成14年)[[4月]]、が長きに渡って日本でのシトロエンの輸入販売事業ビジネス開始行ってきた
*1980年代後半にフランス・オートモビル・シトロエンが日本での大幅な拡販を計画し日本の自動車メーカー各社に販売提携をもちかけた。結果[[マツダ]]が手を挙げ、[[1989年]]から[[ユーノス]]販売網でシトロエン車の販売を開始した。
*2008年(平成20年)4月1日、[[プジョー・ジャポン]]と統合し「[[プジョー・シトロエン・ジャポン]]株式会社」が発足した。以降は同社が日本でのプジョー・シトロエンビジネスを統括するが、販売網は従来通りプジョーとシトロエン別々に分けられている。
*その際、輸入権を西武自動車販売とマツダの両社が保有する事となり、[[PDI]]業務や販売戦略が両社独自で行われたことから、シトロエン・西武自動車販売・マツダの3社での業務調整が必要となった。そこで[[1990年]]2月、シトロエン・西武自動車販売・マツダの出資で、日本法人「シトロエン・ジャポン株式会社」が設立された。
*しかし[[バブル崩壊]]後の経済悪化により、マツダが[[フォード・モーター]]による経営再建を始め、不採算部門の整理を行う必要が出てきた。それに伴い[[1998年]]をもってシトロエン車の輸入販売を終了することとなり、シトロエン・ジャポンへの出資を引き揚げることになった。これにより「日本法人としての」シトロエン・ジャポンは解散となった。
*以降のシトロエン・ジャポンは日本では法人格の無い駐在員事務所として存続し、日本でのシトロエン車の輸入販売は[[新西武自動車販売]]が総輸入元となって継続した。
 
=== 新会社 ===
シトロエンジャポン設立まで、シトロエンは[[西武自動車販売]]→[[新西武自動車販売]]や[[マツダ]]([[ユーノス店]])で販売されていた。[[1995年]](平成7年)に、[[西武自動車販売]]がクライスラーに買収され、多くのディーラーがクライスラー販売になってからは、新たに[[新西武自動車販売]]が立ち上げられシトロエンの総輸入元として機能していた。[[マツダ]]がシトロエン販売を行っていた際も総輸入元は[[西武自動車販売]]並びに[[新西武自動車販売]]であった。
*[[2001年]]([[平成]]13年)[[11月]]、フランス・オートモビル・[[シトロエン]]100%出資による「新生」日本法人であるシトロエン・ジャポン株式会社を設立。[[新西武自動車販売]]から輸入権を移管し、輸入販売を自社で管理する体制を作った
*[[2002年]](平成14年)[[4月]]、日本でのシトロエンの輸入販売事業を開始。販売網は専売ディーラー化を進め、量より質の販売戦略をとった。
*2008年(平成20年)4月1日、[[プジョー・ジャポン]]と統合し「[[プジョー・シトロエン・ジャポン]]株式会社」が発足した。以降は同社が日本でのプジョー・シトロエンビジネスを統括するが、販売網は従来通りプジョーとシトロエン別々に分けられている。
 
==タイアップ==