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その後の消息については不明であるが、一説に拠れば[[1295年]]([[永仁]]3年)海外布教を志し、[[樺太]]の[[本斗郡]][[本斗町]]阿幸から[[満洲]]に渡ったという。[[東北地方|東北]]や[[北海道]][[函館]]には、日持にまつわる伝説が残っている。
伝説によると、日持が北海道に渡ったとき、それまで見たことも無い魚が大漁に採れた。「法華の坊さん」が来たからということで、その魚を「[[ホッケ]]」と呼ぶようになったという。
また、[[第二次世界大戦]]では当時の[[満州]]の[[宣化区|宣化市]](現在の[[河北省]][[張家口市]]宣化区)において、日持の物とされる遺物が発見されたと報道された。なお、[[1989年]]に、[[東京大学]]と[[東北大学]]の研究者により科学測定を行った際、その遺品の年代は[[1300年]]プラスマイナス350年前後であろうと判明{{要出典|date=2009年12月}}している。なお、これについては贋作説もある。[http://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/nitiji.htm]
 
{{日蓮六老僧}}