「ムドロス休戦協定」の版間の差分

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== 休戦交渉の開始 ==
オスマン帝国と連合国との休戦に向けた協議は、まずオスマン帝国が、捕虜としていたイギリス陸軍少将[[チャールズ・タウンゼント]]([[クートの戦い]]で[[1916年]]に降伏して以来オスマン軍の捕虜となっていた)をイギリス軍の拠点であったムドロス港へ派遣したことで開始された。[[エーゲ海]]での連合国艦隊の指揮をめぐって1918年にはイギリスとフランスには反目が生じており<ref name="helmreich3f">Paul C. Helmreich, S. 3f.</ref>、フランスが[[ブルガリア王国_(近代)|ブルガリア王国]]との休戦協定で単独行動を取っていたこともあり<ref>Paul C. Helmreich, S. 31, Fußnote 2</ref>、ゴフ=カルソープ提督はフランス抜きで、中東での戦後の覇権を確固たるものとすべく<ref name="helmreich3f"/>、休戦交渉を始めている。
 
== 休戦協定の内容 ==
 
しかしこれに対して[[トルコ大国民議会|アンカラ政府]]によるトルコ独立戦争([[希土戦争 (1919年-1922年)|希土戦争]])が起き、結果としてオスマン帝国は滅亡し、新たに建国された[[トルコ]]が失地を回復し、[[1923年]][[7月24日]]に西欧諸国と[[ローザンヌ条約]]を結ぶに至った。
 
== 関連項目 ==
* [[休戦協定 (第一次世界大戦)]]
* [[セーヴル条約]]
* [[トルコ革命]]
 
== 脚注 ==
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