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{{Otheruses||お笑いコンビの禅|禅 (お笑い)|2009年公開の映画|禅 ZEN}}
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'''禅'''(ぜん)は、[[達磨]]が[[インド]]から中国に伝えて成立したとされる中国起源の[[大乗仏教]]の一派<ref>本来、大乗仏教は一切衆生の仏道成就という一つの目的を共有する大きなひとまとまりのものであり、仏祖が様々に教えた中の一つを取り上げてことさら禅宗と称して一派に細分化すべきではないのであるが、敢えて分化して説明するならば本項のようになる。</ref>。単に禅という場合は一般に禅宗<ref>禅宗は自宗と自宗以外のすべての教宗とを区別する意味で禅宗と自称する。</ref>を指すが、文脈や場合によって禅那<ref>禅那(ぜんな)。坐禅を組むこと。るいは参禅すること。禅那は仏性南[[インド]]出身存在を前提[[達磨]]が中国坐禅すること入り教えいう。その伝えて成立しめ坐禅同じ姿勢でも仏性を前提としなされてものは禅那とは言えず、単な瞑想であるとして区別する。</ref>を指す
中国禅は[[唐]]から[[宋]]にかけて発展したが、[[明]]の時代に入ると衰退していった。
日本に純粋な禅宗が伝えられたのは[[鎌倉時代]]であり、[[室町時代]]に[[幕府]]の庇護の下で発展した。[[明治維新]]以降は、日本の禅が世界に伝えられた。
 
 
不立文字<ref>不立文字(ふりゅうもんじ)。文字・言葉の上には真実の仏法がないというのは、仏祖の言葉は解釈によっていかようにも変わってしまうという意味であり、言語の持つ欠陥に対する注意である。悟りは文字によって得ることはできないとはいえ、沈黙によっても得ることができないとされるため、一切の説明を行わないということはなく、臨機応変な方便として様々な方法で説かれる</ref>を原則とするため中心的経典を立てず、教外別伝<ref>教外別伝(きょうげべつでん)。人格を相伝すること。文字や言葉を残す以外にも、禅師の全人格をそのまま弟子に伝えることが重要であるとされる。</ref>を原則とするため師資相承<ref>師資相承(ししそうしょう)。悟りの機微は師から弟子へと受け継ぐべきものであり、それが法脈となって後世の人々を救う。生きた仏として残るため個別のケースに応じた柔軟な指導が可能となる。そのため固定の戒律を持たず、固定の修行方法を持たず、特別な本尊を定めることもなく、必ず出家しなければならないというような決まった形もない。</ref>を重視し、そのための臨機応変<ref>臨機応変(りんきおうへん)。例えば、あまりに経典を大切にしすぎる人には、正法眼蔵も世尊拈華も真実の悟りから見れば寝言のようなものであるといって捨てさせたり、あまりに経典を軽んじすぎる人には読経を勧めたりといったことである。</ref>な以心伝心の[[方便]]など、種々の特徴をもつ宗派である。[[坐禅]]を基本的な修行形態とするが、坐禅そのものは古くから[[仏教]]の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が禅宗と呼称され始めたのは中国の[[唐代]]末期からである。後に、禅宗発祥に伴ってその起源を求める声が高まり、初祖とされたのが[[達磨]]である。達磨のもたらした禅は[[部派仏教]]における禅とは異なり、了義<ref>了義(りょうぎ)。解りやすく崩したり表現を変えるようなことをせず、完全・明白に説かれた教え。[[涅槃経]]の[[法四依|四依品]]には、[[末法|末代]]の人は了義によるべきであり、不了義によってはならないとある。</ref>大乗の禅である。
 
==概要==
単に「禅」という場合は一般に禅宗<ref>禅宗では自宗と自宗以外のすべての教宗とを区別する意味で禅宗と自称する。</ref>を指すが、文脈や場合によって禅那<ref>禅那(ぜんな)。坐禅を組むこと。あるいは参禅すること。禅那は、仏性の存在を前提に坐禅することをいう。そのため坐禅と同じ姿勢でも仏性を前提としないものは禅那とは言えず、単なる瞑想であるとして区別する。</ref>を指す。
 
不立文字<ref>不立文字(ふりゅうもんじ)。文字・言葉の上には真実の仏法がないというのは、仏祖の言葉は解釈によっていかようにも変わってしまうという意味であり、言語の持つ欠陥に対する注意である。悟りは文字によって得ることはできないとはいえ、沈黙によっても得ることができないとされるため、一切の説明を行わないということはなく、臨機応変な方便として様々な方法で説かれる</ref>を原則とするため中心的経典を立てず、教外別伝<ref>教外別伝(きょうげべつでん)。人格を相伝すること。文字や言葉を残す以外にも、禅師の全人格をそのまま弟子に伝えることが重要であるとされる。</ref>を原則とするため師資相承<ref>師資相承(ししそうしょう)。悟りの機微は師から弟子へと受け継ぐべきものであり、それが法脈となって後世の人々を救う。生きた仏として残るため個別のケースに応じた柔軟な指導が可能となる。そのため固定の戒律を持たず、固定の修行方法を持たず、特別な本尊を定めることもなく、必ず出家しなければならないというような決まった形もない。</ref>を重視し、そのための臨機応変<ref>臨機応変(りんきおうへん)。例えば、あまりに経典を大切にしすぎる人には、正法眼蔵も世尊拈華も真実の悟りから見れば寝言のようなものであるといって捨てさせたり、あまりに経典を軽んじすぎる人には読経を勧めたりといったことである。</ref>な以心伝心の[[方便]]など、種々の特徴をもつ宗派である。[[坐禅]]を基本的な修行形態とするが、坐禅そのものは古くから[[仏教]]の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が禅宗と呼称され始めたのは中国の[[唐代]]末期からである。後に、禅宗発祥に伴ってその起源を求める声が高まり、初祖とされたのが[[達磨]]である。達磨のもたらした禅は[[部派仏教]]における禅とは異なり、了義<ref>了義(りょうぎ)。解りやすく崩したり表現を変えるようなことをせず、完全・明白に説かれた教え。[[涅槃経]]の[[法四依|四依品]]には、[[末法|末代]]の人は了義によるべきであり、不了義によってはならないとある。</ref>大乗の禅である。
 
[[坐禅]]を基本的な修行形態とするが、坐禅そのものは古くから[[仏教]]の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が禅宗と呼称され始めたのは中国の[[唐代]]末期からである。後に、禅宗発祥に伴ってその起源を求める声が高まり、初祖とされたのが[[達磨]]である。達磨のもたらした禅は[[部派仏教]]における禅とは異なり、了義<ref>了義(りょうぎ)。解りやすく崩したり表現を変えるようなことをせず、完全・明白に説かれた教え。[[涅槃経]]の[[法四依|四依品]]には、[[末法|末代]]の人は了義によるべきであり、不了義によってはならないとある。</ref>大乗の禅である。
 
== 言葉の由来 ==
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ディヤーナを現代語で和訳すると[[瞑想]]となる。ちなみに[[ヨーガ]](yoga)も意訳すれば瞑想とされる(音訳は瑜伽)が、本来は心を調御して統一に導くことをいう。瞑想は動作を言葉で説明する事ができるが、禅は'''不立文字'''を強調するため、瞑想と禅は異なる物として区別される。
 
== 中国伝説時代から達磨大師までの禅の歴史 ==
禅宗では[[釈迦]]の[[法嗣]]を次のように伝えている。
以下のように、『[[景徳傳燈録|{{lang|zh-tw|景德傳燈&#37636;}}]]』などの中国禅の文献に記述されている。
[[インド]]ではマハーカーシャパ([[大迦葉|摩訶迦葉]])から[[法 (仏教)|法]]が順に伝えられ、ボーディダルマ([[菩提達磨]])によってインドから[[中国]]に、禅の教えが広められたと主張し、権威付けを行っている。
 
'''[[釈迦]]'''-[[摩訶迦葉]]-[[阿難陀]]-[[商那和修]]-[[優婆毬多]]-[[提多迦]]-[[彌遮迦]]-[[婆須密多]]-[[仏陀難提]]-[[伏駄密多]]-[[波栗濕縛]]-[[富那夜奢]]-[[馬鳴|阿那菩底]]-[[迦毘摩羅]]-[[龍樹|那伽閼刺樹那]]-[[伽那提婆]]-[[羅睺羅多]]-[[僧伽難提]]-[[伽耶舎多]]-[[鳩摩羅多]]-[[闍夜多]]-[[婆修盤頭]]-[[摩拏羅]]-[[鶴勒那]]-[[獅子菩提]]-[[婆舎斯多]]-[[不如密多]]-[[般若多羅]]-'''[[菩提達磨]]'''
マハーカーシャパは[[バラモン]]階級出身の弟子で、[[釈迦]]の[[法嗣]]とされる(法の継承者)が、[[拈華微笑]]といわれている伝説が宋代の禅籍『[[無門関]]』に見られる。
 
マハーカーシャパ(摩訶迦葉)は[[バラモン]]階級出身の弟子で、[[釈迦]]の[[法嗣]]とされる(法の継承者)が、[[拈華微笑]]といわれている伝説が宋代の禅籍『[[無門関]]』に見られ伝わる。
{{quotation|
世尊、昔[[霊鷲山|霊山]](霊鷲山、グリドラクータ)会上に在りて、花を拈(ひね)りて衆に示す。是の時衆皆な黙然として、惟だ迦葉尊者のみ破顔して微笑す。<br />
世尊云「吾に、正しき法眼の蔵にして涅槃の妙心(正法眼蔵・涅槃妙心)、実相・無相・微妙の法門有り。文字を立てず教外に別伝し(不立文字・教外別伝)、摩訶迦葉に付嘱す」と。
|『無門関』第一巻(世尊拈華)}}
 
二十八祖ボーディダルマ([[菩提達磨]])(南インド出身)が中国に入り、禅の教えを伝えたとされる。
達磨は中国禅の始祖となった。
 
== 中国の禅の歴史 ==
以下中国禅ように、歴史は『[[景徳傳燈録|{{lang|zh-tw|景德傳燈&#37636;}}]]』などの中国禅の文献に記述されている。
 
中国禅の初期の法統は次のように伝えられたとされる。
 
菩提達磨-[[慧可|神光慧可]]-[[僧璨|鑑智僧璨]]-[[道信|大醫道信]]-[[弘忍|大満弘忍]]-[[慧能|大鑑慧能]]
 
禅が中国で実際に禅宗として確立したのは、[[東山法門]]と呼ばれた四祖[[道信]]([[580年]] - [[651年]])、五祖[[弘忍]]([[601年]] - [[674年]])以降である。
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以下は曹洞宗の法系の一例である。
 
'''[[釈迦]]'''-[[摩訶迦葉]]-[[阿難陀]]-[[商那和修]]-[[優婆毬多]]-[[提多迦]]-[[彌遮迦]]-[[婆須密多]]-[[仏陀難提]]-[[伏駄密多]]-[[波栗濕縛]]-[[富那夜奢]]-[[馬鳴|阿那菩底]]-[[迦毘摩羅]]-[[龍樹|那伽閼刺樹那]]-[[伽那提婆]]-[[羅睺羅多]]-[[僧伽難提]]-[[伽耶舎多]]-[[鳩摩羅多]]-[[闍夜多]]-[[婆修盤頭]]-[[摩拏羅]]-[[鶴勒那]]-[[獅子菩提]]-[[婆舎斯多]]-[[不如密多]]-[[般若多羅]]-'''[[菩提達磨]]'''-[[慧可|神光慧可]]-[[僧璨|鑑智僧璨]]-[[道信|大醫道信]]-[[弘忍|大満弘忍]]--(中略)-[[慧能|大鑑慧能]]-[[青原行思]]-[[石頭希遷]]-[[薬山惟儼]]-[[雲巌曇晟]]-[[洞山良价]]-[[雲居道膺]]-[[同安道丕]]-[[同安観志]]-[[梁山縁観]]-[[大陽警玄]]-[[投子義青]]-[[芙蓉道楷]]-[[丹霞子淳]]-[[真歇清了]]-[[天童宗珏]]-[[雪竇智鑑]]-[[天童如浄]]-'''[[永平道元]]'''-[[孤雲懐奘]]-[[徹通義介]]-[[瑩山紹瑾]]-...
 
六祖曹渓[[慧能]]と[[洞山]]良价から曹洞宗とした。日本では中国に渡り印可を得て[[1226年]]に帰国した[[道元]]から始まる。帰国の翌年には[[普勧坐禅儀]]を著し、只管打坐を専らとする宗風を鼓舞した。その修行内容は「永平[[清規]]」を厳しく守り、一時的な見性に満足してしまうことや坐禅の他に[[悟り]]を求めることを良しとせず、只管に坐禅を勤めることに特色がある。