「フリクション (バンド)」の版間の差分

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== 概要 ==
1971半頃に、マルチ・アート集団「○△□(まるさんかくしかく)」はレック、チコヒゲ、渡辺作郎(その後、[[村八分_(バンド)|村八分]]に参加)によって始められる。即興演奏中心のアバンギャルド音楽のバンドだった。1973年にバンド名がそのままタイトルになったアルバムが限定盤として発売される。その後、RECは3/3という後の東京ロッカーズの母体ともなったバンドを経てNYへ。ノーウェイブムーブメントを肌で実感し、帰国。RECの後を追ってNYへ渡っていたチコ・ヒゲも日本へ帰国し、[[1978年]]4月に「フリクション」結成した。1980年に[[坂本龍一]]のプロデュースによる『軋轢』でメジャーデビューした当時のメンバーは、レック(ベース)、ツネマツマサトシ(恒松正敏ギター)、チコヒゲ(ドラム)。このメンバーでは、[[1979年]][[12月16日]]、京都の磔磔におけるライブ、[[1980年]][[5月25日]][[神奈川大学]]でのライブがCD化されている。
 
恒松正敏は、その後脱退しE.D.P.S(エディプス)を結成。ギターの後任にはモギエミコ、そしてシュルツハルナが参加して4人編成となる。このメンバーで『SKIN DEEP』発表。このメンバーでは、ローマでのライブがアナログ盤に未発表曲を加えてCD化されている。