「ロバート・ハート」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Qingshan (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
+category
1行目:
'''ロバート・ハート(Sir.'''({{lang-en-short|Robert Hart}}、赫徳、[[1835年]] - [[1911年]])は、イギリス人、中国・清朝末期洋関総税務司を務めたイギリス人
 
[[Category:中国の歴史]][[Category:清朝の政治]]
[[アイルランド]]の[[アイスター州]][[ポータダウン]]に生まれた。1853年にクイーンズカレッジを卒業、翌年[[香港]]に着いて中国語を学び、[[寧波]]に移った後1858年に広東領事館の連合軍軍政庁書記官に就任、翌年広東海関の副税務司に就任した。1863年に総税務司に就任後、40年近く中国に滞在し、一定の影響力を持った。1900年の[[義和団事件]]の際には外交交渉に奔走した。1908年に賜暇を許され帰国し、3年後に総税務司在職のまま死去。死後、現在の上海海関前に彼の銅像が建てられたが今は残っていない。
 
{{History-stub}}
{{デフォルトソート:はあと ろはあと}}
[[Category:1835年生]]
[[Category:1911年没]]
[[Category:イギリスの人物]]
[[Category:清朝の人物]]