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[[ファイル:Elisabeth de France Spain.jpg|thumb|right|200px|エリザベート・ド・フランス]]
'''イサベル・デ・ボルボ
[[フランス王国|フランス]]王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]と王妃[[マリー・ド・メディシス]]の長女(第2子)として[[フォンテーヌブロー]]で生まれた。フェリペとの政略結婚は、[[カトリック教会|カトリック]]二大勢力であるフランス・スペインの政治的同盟の証として伝統的におこなわれたものである。この伝統は、[[カトー・カンブレジ条約|カトー=カンブレジの和議]]で[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]と[[エリザベート・ド・ヴァロワ]]が結婚して以来続いていた。2人には7子が生まれたが、5人は幼児のうちに早世し、[[アストゥリアス公]][[バルタサール・カルロス]]と末子[[マリー・テレーズ・ドートリッシュ|マリア・テレサ]]のみが成長した。しかしイサベルの死後、バルタザール・カルロスも逝去した。
* マリア・マルガレータ(1621年 夭折)
* マルガリータ・マリア・カタリーナ(1623年 夭折)
* マリア・エウヘニア(1625年 - 1627年)
* イサベル・マリア・テレサ(1627年 夭折)
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