「妙円寺 (日置市)」の版間の差分

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歴代[[島津氏]]当主の尊崇を受けてきたが、[[島津義弘]]は特にこの寺に対する帰依が厚く、義弘とその妻の墓所となったために[[薩摩藩]]の中でも有数の禅寺となった。しかし[[明治]]2年の[[廃仏毀釈]]により破壊され、当時の住職は島津義弘の位牌などの宝物を持って避難した。[[明治]]13年には早くも地元の支援者によりかつての寺地の近隣に再興され、[[徳重神社]]の所有となった宝物の返還を求めたが、結局達せられないまま現在に至っている<ref>ちなみに、義弘自身も出家したため、徳重神社に祭られている義弘の御神体は僧体である。</ref>。復興後の妙円寺は600坪程に縮小されたが、義弘の位牌はもちろん、境内には昭和11年に公爵(島津家第30代当主)[[島津忠重]]の寄贈した石屋眞梁禅師の碑があり、碑銘は陸軍大将[[町田経宇]]によって書かれている。
 
{{要出典範囲|なお、妙円寺や[[曹洞宗]]を蔑ろにする形で、毎年徳重神社で盛大に行われる[[日置市]]主催の妙円寺詣りには県内外に疑問を持つ者も多い。|date=2008年10月}}しかし、未だに[[鹿児島本線]][[伊集院駅]]の案内や地図には、この禅寺の所在すら記されていない。
 
== 「谷山大観音」 ==