「扇ヶ谷」の版間の差分

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== 地誌 ==
'''扇ガ谷'''は[[東日本旅客鉄道|JR]][[横須賀線]]の[[鎌倉駅]]から[[北鎌倉駅]]間の線路沿いの山際一帯の地名である。東を雪ノ下、西を佐助、南を御成町・小町、北を山ノ内と接し、飯盛山、[[源氏山]](初名は武庫山、このほか亀谷山とも呼ぶ)などの丘陵が周辺を囲み、中心部谷戸にある[[亀ヶ谷坂]]を経て北鎌倉方面とつながる。地域内を扇川と呼ばれる小さな小川が横須賀線に沿って流れる。地名の由来は、鎌倉十井の一つ「扇の井」(現在の扇ガ谷3丁目)に因んだもので、扇ヶ谷は[[関東管領]][[上杉定正]]の旧邸で[[英勝寺]]の地で、'''亀ヶ谷'''(かめがやつ)の地内の一地名とある(新編相模国風土記、新編鎌倉志)。もともとこの地は亀谷と呼ばれ、[[鎌倉幕府]]の記録書である『[[吾妻鏡]]』には亀谷(亀ヶ谷)の地名のみ登場(初見は[[治承]]4年([[1180年]])[[10月7日]])し扇ヶ谷は出てこない。亀ヶ谷は鶴ヶ岡に対する対語、もしくは谷戸の中心部にある亀ヶ谷坂(『亀がひっくり返るほど急な坂』の『亀返り坂』の転訛という説)に由来すると云われ、この地は源家父祖伝来の地であった。[[源頼朝]]は[[鎌倉]]に入るとまず父・[[源義朝|義朝]]を偲んで義朝邸があった亀ヶ谷を訪れ、後にここに[[北条政子]]が亀谷山[[寿福寺]]を建立した。扇ヶ谷の地名は[[室町時代]]にこの地に住んだ管領上杉定正が『扇谷殿』と称されてから扇ガ谷の地名が一般的になり、亀ヶ谷の呼び名は廃れた。
 
扇ヶ谷自体で谷戸となっているが、扇ヶ谷を取り巻く山々は入り組んだ地形を持ち、地域全体には支谷が多い。泉ヶ谷、清水ヶ谷、清涼寺ヶ谷、藤ヶ谷、多宝寺ヶ谷など多数の谷戸の総称として亀ヶ谷や扇ヶ谷は呼ばれている。現在は横須賀線によって地域は東西に分断されている。